「おひとりさまの老後」〜終活バトラー(執事)がこっそり教える「終活に役立つ一冊!」〜
本日も下重暁子さんの「明日死んでもいいための44のレッスン」から、本日は第15弾「本当に好きなものに囲まれる」を皆様と一緒に読み解いていきたいと思います。
下重さんもおっしゃっております。「断捨離という言葉が流行した。ヨガに由来する言葉だそうで、いらないもの、必要のないものを、できるだけ処分して、スッキリ生きるということだろう。しかし私がこのタイトルに込められた本当の意味は、モノを捨てることではなくて、ものを捨てないことなのだ。捨てないというより、捨てるようなものは買わないということなのだ。私が心配するのは、人が亡くなったとき、さっさと遺品が整備されてしまうことだ。いや、死ぬ前からそれは行われていて「終活」と言うらしいが、自分で身の回りを整理するのが流行っている。捨てるのは結構だが、本当に大切なもの、本当に好きなものは、自分が生きている間は捨てない方がいいと私は思う。明日死んでもいいとは言っても、今日も生きているんだ。今日生きるのに大切なもの、好きなものまで整理して、死を待つのはあまりにも寂しすぎる。本当にいいもの、好きなものに囲まれて、死ぬまで過ごした方がいい。」と下重さんもおっしゃっております。
私も終活をしていて、やはり断捨離、家の中に不必要なものがたくさんあると、それを残された子供さんたちはとてもその処分に困る。両親の思い出が詰まった、使ってきたものをなかなか処分することができないで、遺品整理にとても苦労するご家族がいらっしゃることを、終活の中でもよくお伝えをしているのですが、下重さんがおっしゃるのは、とても大切で必要なもの、それを今からでも使うものというものは、断捨離はしないで大切に持って使ったほうがいいということだと思うんですが、私は物置の中に、もう一年以上使わない、これからも必要とされないようなもの。例えば、昔はお葬式を自宅でやっておりました。その時に長いテーブルが必要になってくるんです。今は家でお葬式をするということはほぼなくなってきておりますので、例えばそういったテーブル等を使うことがなくなってきたわけです。私は処分していいと思っております。私が一つ、これからも大事にしていきたいと思っているのは、自宅の前にあるとても美しい庭園です。今から30年前に自宅を私と母で建てました。その時に庭園を一緒に造りました。その庭園を、母は毎年除草をして、綺麗な状態を保ってくれていたわけです。私もこの庭園を家から眺める度に、四季折々の風景を見る度に心が落ち着く、心が和む思いをしています。そして忙しい時には、なかなか除草するということが私もできませんでしたが、母が亡くなって、4年、5年と経っていく中で、私もある程度心の中に余裕、ゆとりというものが生まれまして、今は雑草と格闘をしているわけです。その雑草がきれいになって、庭を眺めた時に、本当に心が落ち着く。やはり母もこういった風景を楽しみたくて草むしりをしていたのだなと、私もしみじみ感じています、私も大事なこの庭を、これからも守り続けていきたいと考えております。
皆さんもどうでしょうか?ご自宅で大切にされているもの、これからも大切に引き継いでいきたいものがありましたら、どうぞ大切にこれからも使い倒していっていただければと思っております。