「還暦からの底力」〜終活バトラー(執事)がこっそり教える「終活に役立つ一冊!」〜
本日も下重暁子さんの「明日死んでもいいための44のレッスン」、本日は第14弾「明日死ぬかもしれないからこそ、今日を楽しむ」という内容を皆様にお伝えしていきたいと思います。
下重さんもお話ししております。「戦時中、私は小学生だったが、母はいつも身仕舞いをきちんとして、夜に空襲があっても、いつでも逃げられるよう、枕元に着るものを用意していた。紺色の朱子で作ったよそ行きのもんぺもあった。明日死ぬかもしれないからこそ、今日を楽しむ。それが生きるということ。いざその状況になったときに、実践できるかは、いささか心許ないとはいえ、そうありたいと思っている。」下重さんはこのようにおっしゃっております。
昔ですね、戦時中は本当に戦争の惨禍の中にある、いつ空襲が起こって、自分の命が終わるかもしれないというところに、国民の皆様が身を置いていたわけです。明日死んでもいいように、前日から身支度をしっかりしておったということだと思います。
今は本当に恵まれた豊かな時代に生きておりますと、そういったことはほぼ起こらない中で生きていられるわけです。これもやはり先人たちの努力があったからだと、私も考えております。なので、本当に明日死んでも、悔いが残らないように、若いうちはまだまだ死ぬなんていうのを実感することはありませんから、今日やらなくても、明日やればいいいや。明日やんなくても明後日やればいいやということで、どんどん先延ばしをするようになっているわけです。ところが私も今年58歳を迎えて、人生100年時代と言われてはおりますが、折り返し地点をもう過ぎたところに来ているわけです。そうして死を実感せざるを得なくなってくると、「明日やればいい」ということがなかなか考えづらくなってきました。やっぱり今日やろうと思ったことは、もう今日すぐに実行する。今日思ったことが全てできなくても、まず小さな一歩です、まずはちょっと手をつけてみる。具体的に話しますと、健康管理をするために、明日の朝から散歩やジョギングをちょっとやってみようと思った時に、やはりいきなりジョギングをしようと思うと、なかなかハードルが高いわけです。その時にサッとできるように、枕元にジャージを置いておく。すぐに着替えられるように、準備をしておくと、それを着るというだけで、自分のスイッチが入ることになるのです。ジョギングまでできなくても、散歩までできなくても、まずは今日そのジャージを自分で履いた。そして外に一歩出た。それだけでまず第一歩ということで、「じゃあ明日は道路に出て、歩いてみよう」というような、段階的に始めるということも、とても大事だと思いますので、まずは今日第一歩を先延ばしにしないでやってみる。今日ふと思って、「会いたいな。あの人何しているかな?」と思ったら、今はとても便利な世の中になっております。スマホで電話してみよう。ちょっとメールをしてみよう。LINEでちょっと語りかけてみようということが、即座にできるような便利な世の中になりました。そういったツールもぜひ使って、生きていっていただければと思っております。