読書日記「百年の孤独」
高裁の裁判官の中には、記録を丹念に読み込み、一審の問題点を整理される場合もあり、そうした理由から、一審より充実した判決が出ることももちろんある。さすが高裁であるとうならされることもある。
しかし、記録をきちんと読まず、一審より判決の内容が後退してしまう判決も一定割合あるのも事実である。
どこからこんな認定をしたのかという判決である。
上告又は上告受理申立で主張できる内容は非常に限られていて、「まだ最高裁がある」と思える事件はほとんどない。
高裁裁判官の中には、そのことを分かっていて、適当な判決を書く人がいるのではないかと思ってしまうこともある。
どうせ最高裁で覆られないから、この程度でよいだろうという考えが見えたと感じることがある。
当事者のほとんどは、裁判をするのは一生に一度あるか、ないかである。
代理人も全員ではないにせよ、その訴訟に相当な労力をかけている。
もちろん、代理人側にも、裁判官に読んでもらうための工夫も必要だが、「それにしてもひどいんじゃないの」という判決が時にある。
当たり外れだけで納得ができるものではない。
多くの弁護士がそう感じているはずである。