読書日記「百年の孤独」
高校生の頃、自転車で離れた店に一人で買い物に行き、「たまには違う道から帰ってみよう」と思い、「こっちの方向に行けば家に着くだろう」と走ったら、自分がどこにいるか全くわからなくなり、見たこともないところに出たことがある。
道というものはどこかに通じていると思いきや、線路がありどこまでいっても向こうに渡ることができなかったり、行き止まりであったりした。どこかで枝分かれしている道で違う方向に向かってしまうこともあった。
そして、困ったことに「人に道を聞くということは負けることだ」という誤った考えを持っていた当時の私は、人に道を聞くこともなく、最大で6時間くらいさまよったことがある。
これが一度だけならよいのであるが、10回くらいはこういうことがあった。
今はスマホがあるのだが、スマホで道案内をされても、いつの間にか違う方向に向かっていることがある。
というか、10回のうち9回はたどり着けない。
先日、依頼者がご高齢で、意思能力には問題がないのだが、足がお悪くて事務所まで来ることができないというので、ご自宅まで伺ったのだが、案の定道に迷った、事務局に住宅地図を出してもらい、地図と照合しながら歩くのだが、自分の中で目印と思っていた建物が取り壊されていたりすると、もうどちらに向かえばよいのかわからない(今までご自宅に伺うというので、道に迷ったことは何度もある)。
結局は、事務局に電話をして、「今私がどこにいるのか教えてくれ」という訳の分からない電話をして、周囲に何があるかや、町名を事務局に伝えて、事務局に「その道をまっすぐ進んでください」「コンビニが見えてきたら右に曲がってください」リモートでナビをしてもらう羽目に陥るのである。
この時は、当初真逆の方向に歩いていたことが判明した。
事務局こそいい迷惑であるが、何回もこういうことをしてもらっているので、諦めの境地かもしれない。
最寄り駅には道に迷うことも踏まえて、40分以上前に到着していたのだが、結局依頼者のご自宅に到着したのは時間ちょうどだった。
最寄り駅からは徒歩10分もかからず、結局30分以上そのあたりをうろうろしていたのである。
方向感覚というか、こればかりはどうしようもないようである。