在りし日の小次郎
法律相談は奥が深いと思う。若手より少し経験を積んだ私の年齢になっても、日々こうしたらどうか、ああしたらどうかと思う。ベストというものは中々ないということである。ベターを常に探しているといえばよいだろうか。
文章の書き方もそうであるが、この程度でよいということはなく、一生工夫が必要であろうと思う。
相談には限界がある。特に、事務所以外でする相談は、限られた時間の中で、限られた情報で、できる限り適切な情報やアドバイスを相談者に伝える技量が必要である。
これが中々難しい。
市役所などの行政から委託を受けている相談だと、15分から20分程度で話を聞いた上、適切なアドバイスをする必要が生じる。もちろん、相談の中には、5分程度で終わることもあるから、そこは相談内容に応じて適宜伸び縮みはするが、そこを考えながら、時間ちょうどに終わらせるというのは一つのテクニックである。
また、相談者が持っている情報が全てかどうかという問題もある。交渉や訴訟を始めたところ、相手方の方から相談者が忘れている「ドヒャー」という資料が出てくることもある。争う中で真実を発見するというのが当事者主義による訴訟構造であるから、これはやむを得ないところもある。
もちろん事務所での相談はかなり時間もかけて、相手方の出方も見つつ聴き取りはするが、限界がある。
相談者のいうことを前提にすれば、こう考えられるということしか言えないところがどうしても残るのが相談というものであろう。
共同で受任していたりすると、相談者が何かを話しているのに、さえぎって話す弁護士がいたが、相談者は突き放されたような気持ちになる。
相談の聞き方はあくまで受容的にである。もちろん中には思い込んでいる人もいるが、それを頭から無下に否定するのではなく、受け入れた上で、時間が許せば、どうしてそのように考えるようになったのか等々を聞き取っていく姿勢が大事であろう。
毎日が工夫である。