在りし日の小次郎
法律相談に来られる人の中には、世の中では通用しない独自の見解を持っている人がいる。自分の見解が正しく、他は全て間違っているという前提で相談に来られる。独自の見解を展開され、こうあるべきなのにないのはおかしい、自分は正しいでしょう、ということの裏づけを取りに相談に来られているのである。
残念ながら、弁護士が法的に考えると、こうした人たちの見解が正しいことはほとんどといっていいほどない。
そのことを説明すると、たいていの方は食い下がってくる。しかし、いくら食い下がられても、不可能なことは不可能としかいえないので、一つ一つ不可能な理由を答えることとなる。
こういうときに、「弁護士なのに自分を助けないのか」ということを言われることもある。しかし、弁護士は神様ではないので、法律の枠組みの中でしか依頼人の利益を守ることしか出来ない。
また、「法律が間違っている」ということをいわれることもある。これも、弁護士は立法作業をする訳ではないので、弁護士に言われても困ることがある。もちろん、法律が間違っていることもあるので、是正するための活動を弁護士がすることもあるが(実際、私の活動で立法化された法律もある)、独自の見解を持つ方は、独自の理屈で自分の見解を裏づけされることを望んでいるので、法律が間違いというのも独自の理論のことが多い。
「それでいいんですか。弁護士としてどう思うのか。」と言われることもある。しかし、私は法律家なので、法律上の回答しかできないので、そのように答えることとなる。
最後は怒って、場合によれば罵られて出て行かれることとなる。
こういう方は、その後も弁護士に相談に回られているのではないかと思う。しかし、望むような回答は得られまい。
弁護士としても、言い方はもちろんあるが、不可能だということは相談者にとって気分のいいものではないことは分かる。気分のいい回答をしてあげれば喜ぶだろうということはわかる。
しかし、だからといって、不可能なことを可能だとはいえないのである