読書日記「百年の孤独」
たとえば、竹中半兵衛は、その子が戦のありようを先達が語っている時に、途中小用に立った時に、その子を叱りつけ、人の講義をしている最中に小便に行くヤツがいるかと怒鳴り、その場で小便を漏らしてでも(かなわない話であるが)、講義を聴くべきだとしていたが、これなども、私人の小用をしたいという欲を押さえて、主君のために少しでも役に立つ知識を得ようとせよという公の思想のあらわれではないかと思われる。
幕末、松下村塾を開き、現実に子弟にものを教えたのは極めてわずかな期間であったにも関わらず、その影響力は計り知れない吉田松陰という人物は、叔父から学問の講義を受けている時にほほにハエがたかったので、これを追い払ったところ、叔父から吹っ飛ぶ程殴りつけられたことがあるが、これなども同じ文脈で捉えることが出来るのではないかと思われる。
吉田松陰は、学問の神として、松陰神社に祀られているが、確か修学旅行で行った時にお守りを訳も分からず買い、そのお守りはまだ大事にとってあるのだが、浅学非才の身でありながら、私がこんにち弁護士になれたのも、吉田松陰の御利益かも知れないなどと思ったりすることもある。
仕事をしている時は、いち私人を離れて、公の人物としてなすべきだというのは私の中にもどこかにあり、旧来のアジア諸国のようなあり方は私自身には合わない。