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内面の自由はどこへ行ったのか
これまで、「心音調律社会」というテーマで、
外的規範と内なる調律の関係についてお話ししてきました。
ここで、補足として、
もう一つ大切な視点に触れておきたいと思います。
私たちは、社会の中で生きるために、
多くのものを身につけてきました。
ふるまい方
考え方
判断の基準
他者との関わり方
それらはすべて、
社会の中で円滑に生きていくために必要なものです。
そして、そのおかげで、
私たちは秩序ある社会を築いてきました。
しかし、その過程で、
知らず知らずのうちに手放してしまったものがあります。
それが、
内面の自由です。
本来、人の内面は、
もっと広く、しなやかで、
外から完全に規定されるものではありません。
けれども、
正しくあろうとするあまり
期待に応えようとするあまり
社会に適合しようとするあまり
私たちは内側の揺らぎや違和感を、
どこかに押しやってしまうことがあります。
その結果、
外側は整っているのに、
内側にわずかな窮屈さを感じる——
そんな状態が生まれてきます。
ここで、心音調律という在り方が意味を持ちます。
心音に立ち返るとき、
私たちは一度、外から身につけた基準を離れ、
より根源的なリズムに触れることになります。
そこには、
こうあるべき、という力みも
こうしなければならない、という緊張も
ありません。
ただ、
「鳴っている」という事実
があります。
その事実に触れるとき、
内面は少しずつ、本来の広がりを取り戻していきます。
無理に変えるのではなく、
もともとあった自由が、静かに戻ってくる。
心音調律とは、
内面の自由を取り戻していく、静かな営み
とも言えます。
それは、何かを新しく手に入れることではなく、
内面はあるがままでいいことに、もう一度気づくこと
です。
一日一分、心音に耳を澄ませること。
胸に手を当てて、そのリズムを思い出すこと。
ただそれだけの行為が、
内面にわずかな余白を生み、
そこから自由が、静かに立ち現れてきます。
心音調律社会とは、
外と内が調和する社会であると同時に、
内面の自由が、無理なく息づいている社会
でもあります。
■ 余韻(締め)
自由は、どこかに取りに行くものではなく、
すでに内に、静かに響いている。



