憲法前文に寄り添うResonantな想い②

風間裕継

風間裕継

日本国憲法前文
――「諸国民を信頼して」に耳を澄ます

憲法前文のなかに、
とても印象的な一節があります。

「われらは、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して…」

この言葉は、ときに「理想的すぎる」と言われます。
現実はそんなに甘くない、と。

けれど私は、この一文を読むたびに、
そこに“外交戦略”よりも先に書かれた
ある姿勢を感じます。

それは、
相手を完全に理解しているから信頼する、
という態度ではありません。

また、
裏切られない保証があるから信頼する、
という計算でもない。

むしろこれは、
「信頼から始める」という決意ではないか。

Resonant(響き合い)の視点で見ると、
信頼とは、結果ではなく、hibikiの選択です。

相手がどう出るかを待ってから決めるのではなく、
こちらがどのhinikiで立つかを先に決める。

恐れを基準に世界を見るとき、
あらゆる国は潜在的な脅威になります。

けれど、信頼を基準に見るとき、
同じ世界は「対話の可能性」として立ちあらわれる。

もちろん、
現実には摩擦もある。
利害も衝突もある。

Resonantは、
無防備であれと言っているのではありません。

むしろ、
恐怖に支配された反応ではなく、
関係を調律しようとする意志を持てるかどうか、
という問いです。

信頼とは、
相手を理想化することではなく、
自らの姿勢を整えること。

国家レベルであれ、
企業であれ、
家庭であれ、
それは同じ構造を持っています。

会議で最初に発せられる一言が、
場の空気を決めるように、

国がどのような言葉で世界に向き合うかは、
長い時間をかけて関係の質を変えていく。

「諸国民を信頼して」という一節は、
世界が善であると断言しているのではなく、

私たちが
どのような前提で世界と向き合うのかを
問い続けている。

信頼は、
響き(hibiki)の投げかけです。

投げかけた響きは、
すぐには返ってこないかもしれない。

けれど、
恐怖の周波数よりも、
信頼の周波数のほうが、
長い時間軸では関係を育てる。

胸に手を当ててみると、
鼓動は外敵を想定して打っているわけではない。

ただ、
生きようとして鳴っている。

国家もまた、
生きようとしている存在だとすれば、

「諸国民を信頼して」という言葉は、
弱さの表明ではなく、
在り方の宣言なのかもしれません。

信頼から始めるか。
疑念から始めるか。

その選択が、
やがて文明の質を決めていく。

Resonantに読む憲法前文とは、
理想を掲げることではなく、
hibikiを選び直すこと。

いま、
私たちはどのhibikiで世界を見ているのか。

その問いは、
今日も静かに、
前文のなかで鳴り続けています。

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風間裕継
専門家

風間裕継(「想いの経営」パーソナル・ナビゲーター)

「想いの経営」京都研究座会

売上が伸びない、新事業が見えない、社内に相談相手がいない、そんな経営者の悩みに添って、次の一手を一緒に見つけます。「想い」を活かすブルーオーシャンの入口を75歳の経験とレゾナント思考で可視化します。

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