不安と怒りの正体

風間裕継

風間裕継

不安と怒り
人は、なぜ怒るのでしょうか。

そして、その奥にひそむ「不安」は、どこからやってくるのでしょうか。

日々の現場や家庭、社会の中で、
「些細なことで腹が立つ」
「後から考えると、なぜあんなに反応したのか分からない」
そんな経験は、誰にでもあるはずです。

私は近年、こう考えるようになりました。
怒りは、単独で生まれる感情ではない。
その多くは、不安を起点として現れる二次的な感情ではないか、と。

不安は「原因」ではない

一般に、不安は「性格」や「心の弱さ」と結びつけて語られがちです。
しかし、不安をよく観察すると、それは原因というよりも、
条件が重なったときに立ち上がる状態であることが見えてきます。

たとえば、

疲れている

先が見えない

思うようにコントロールできない

期待と現実がずれている

関係性が不安定になっている

こうした複数の要素が重なったとき、
心はまだ起きていない未来を先取りして身構えます。

これが、不安です。

不安は「何かが起きた」から生じるのではなく、
「何かが崩れるかもしれない」という予感から生まれます。

怒りは、不安の変換形

不安は、内向きの感情です。
重く、動きにくく、言葉にもなりにくい。

そのままでは扱いづらいため、人は無意識にそれを
外へ向かうエネルギーに変換します。

それが、怒り。

怒りは、

境界線を引く

相手を押し返す

自分を守る

ための、非常に即効性のある感情です。

だから怒りは、
「弱さ」ではなく、
不安に対処するための生存戦略として現れることが多いのです。

不安もまた、縁起の顕れ

では、不安そのものは、どこから来るのか。

私自身は、不安を
世界の不確かさを身体が先に感じ取った反応
として捉えています。

私たちは普段、

自分は確かな存在である

未来はある程度予測できる

安全は維持されている

という前提の上で生きています。

ところが現実には、

自分も状況も常に変化している

未来は固定されていない

安全は関係性の中で暫定的に保たれている

この「不確かさ」に触れた瞬間、
身体は微細な揺れを起こします。

それが、不安。

この意味で、不安もまた
縁起(さまざまな条件が重なって現れること)の顕れ
と言えるでしょう。

消そうとしない、正そうとしない

不安や怒りに対して、
「なくさなければならない」
「正しくなければならない」
と考えるほど、感情はこじれていきます。

むしろ大切なのは、

不安が出ていることに気づく

怒りが守ろうとしているものを見る

その一段引いた視点です。

怒りが出たとき、
「いま、不安が形を変えて現れているな」
そう捉えられた瞬間、
感情はすでに少し緩んでいます。

おわりに

不安も、怒りも、
どちらかを善悪で裁くものではありません。

それらは、
変わり続ける世界の中で、人が生き延びようとする自然な反応です。

正体が見えた感情は、
私たちを振り回す存在ではなくなります。

それはただ、
「いま、世界が揺れている」
というサインとして、静かに響いている
だけなのです。

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風間裕継
専門家

風間裕継(「想いの経営」パーソナル・ナビゲーター)

「想いの経営」京都研究座会

売上が伸びない、新事業が見えない、社内に相談相手がいない、そんな経営者の悩みに添って、次の一手を一緒に見つけます。「想い」を活かすブルーオーシャンの入口を75歳の経験とレゾナント思考で可視化します。

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