「鉄」は熱いうちに打て
「わかりません」、とよく生徒が言います。確かにわからないのでしょう。
だから、「どこがわからないのか?」と聞くと「・・・」、「どこまでわかるのか?」と聞くと「・・・」、そこに思考のかけらさえ見出すことはできません。
このケースから判断できることは、わからないのではなくて、考えていないから「わかりません」の状態なのです。
例を挙げてみます。
ここに、ある『旅人算の問題』があります。
これが『速さの問題』であることは、だいたいの生徒は問題を読めばわかります。
しかし、A君は、『速さの問題』であることがわかりませんでした。
これは本当になにも「わかりません」です。
B君は、『速さの問題』であることはわかりましたが、『旅人算の問題』であることがわかりませんでした。
『速さの問題』には、旅人算のほかにも通過算や流水算、時計算、図形の角速度の問題などがあります。
その見極めをしなければ手も足も出ません。
B君は問題見極めのトレーニングが必要になります。
これがB君の「わかりません」です。
C君は、『旅人算の問題』であることはわかりましたが、進行グラフを書いていませんでした。
旅人算の場合、状況図で処理することもありますが、ほとんどの場合、時間と距離と速さという3つの概念の違う数字を同時に理解しなければならないので、当塾では進行グラフを書くように勧めています。
ということは、旅人算であることがわかっているのに進行グラフを書いていないC君は、まず進行グラフを書き、与えられた情報を書き込み、隠れたヒントを導き出す学習が必要です。
進行グラフが書けなければ書けるようになるまで練習することが要諦となります。書けるのに書いていなければC君の怠慢です。
これがC君の「わかりません」です。
D君は、進行グラフも書き、与えられた情報を書き込んではいましたが、隠れたヒントまでは記入できませんでした。
ここに気づけばほとんど解答にたどり着きますから、あと一歩です。
本来、この時点をもって「わかりません」という声を発するのが学習です。
このD君の「わかりません」は本来の「わかりません」ということができるでしょうし、この状態となるよう私たちは日々ご指導に取り組んでいるつもりです。
このように、一つの問題についても様々なレベルの「わかりません」が存在します。
どのレベルでわからないのか、どのレベルまでわかるのか、生徒本人が自覚できるかできないかで、学習の進度は大きく変わってきます。
仮に、生徒本人がそのことに気づけにないようなら、その掘り起しの姿勢の定着こそが学習塾の急務です。
ましてや、理解の深掘りという姿勢の定着はどの教科においても大切であり、その学習姿勢がないところに真の自立した学習の成長はないと言えるでしょう。