Vol.60 「この壺は満杯か?」--有名なたとえ話について。

孔子の言葉に「学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや」という一節があります。
自分が大好きな一節でもあるのですが。
この・・・「時に」というたった二文字の中に、学びの本質が静かに息づいているように思えることがあります。
「時に」とは、季節のように巡る自分のリズムのこと。
それは、「いつでも学べ」という意味ではなく、自分にとっての「今」を大切にしなさい、というやさしい教えでもあるのです。
今回は、この「時」について深堀をして書いてみようと思います。
時に ➤自分のペースでいいということ
私たちはつい、学びの成果を急いでしまいますね。
- すぐに結果を出したい。
- すぐに“できる自分”になりたい。
けれど、孔子は「時にこれを習う」と言いました。
それは、「焦らず、繰り返し、味わうように学ぶ」ということです。
「学ぶ」ことは、点ではなく線。
短距離走ではなく、静かに続いていく道のりです。
昨日より少し深く理解できたなら、それでいいし、また、学びは積み重ねの中に「喜び」が宿ることも多いのです。
AI時代の「学び」とは何か
ChatGPTのようなAIを使えば、今の時代は答えは一瞬で手に入ってしまいますねw
ただ・・・その「一瞬の答え」では、本当に意味での学んだ時の「よろこび」は得られません。「へーすごいなー」程度にはわかりますけれど。
結局のところ、大切なのは、答えを出すことというよりも、「なぜそうなるのか」を探求しながら「感じ取る」ことが大事なのかなと考えられます。
AIが整えてくれる情報ももちろん有益なので、今頃の時代においては、その答えの上に、さらに自分の思考や経験を重ねていくことがよいでしょう。
その過程こそが、今の時代における「新しい学び方」だと言えます。
学びとは「共鳴」である
孔子はまた、「三人行えば、必ず我が師あり」とも語っています。
学びとは、他者と比べて優越をつけることではなく、共に響き合うことにありそうですね(*^^*)
自分と違う考えに触れたとき・・・
「自分の中にある小さな問い」が静かに目を覚ますとき・・・
それが、まさに学びのはじまりです。
おわりに
「学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや」
この言葉を読むとき、こうとも読めます。
今その時にあなたが、
「わからない」状態でも問題ないんだよと。
そのままの状態でいつか「はっ!」と気付けたり体験したりする「時」が来るまで、なんとなく学ぶのも全く問題ないと。
結果や時間に追われて焦らなくていいのです。
自分自身の「時」を信じて、一歩ずつ学んでいると、その瞬間が訪れて、「なんだ、そんなことか!」とパーっと世界が広がるように感じられるものでしょう。



