Vol.60 「この壺は満杯か?」--有名なたとえ話について。
「学びは本来、楽しいはず。」
これは、私が日々のプログラミングスクールや学習塾を運営している中でとっても大切にしているキャッチフレーズです。
けれど、現代の学びの場では「学び=つらい」「やらされるもの」と捉えられてしまうことも多いのではないでしょうか。
では、私たちは本来、なぜ学ぶのか?
そして、「楽しい学び」とはどういうものなのか?
少し歴史や言葉の背景から、学びの本質を探ってみたいと思います。
ケプラーとニュートンが示す「学びのプロセス」
天文学者ケプラーは、惑星の動きを長年にわたって観察し、その軌道に法則性があることを発見しました。
彼は「どう動くか」を正確に予測しましたが、ただ、「なぜそうなるのか」までは説明できませんでした。
その後、アイザック・ニュートンが登場し、「万有引力の法則」を発見します。
この原理によって、ケプラーの法則は「根拠あるもの」となり、さらに広い物理現象にも応用できる「普遍性」を持つようになります。
ここに、まずは学びの大切なヒントがありそうです。
つまり・・・
学びとは、現象を観察することから始まり、問いを立て、原理を見出し、他の世界にも応用していくプロセスである。
ということです。
学びの本質を探るための3つの視点
このプロセスを整理すると、「学び」とは次の3つの視点で深く考えることができると考えます。
① なぜ学ぶのか(動機・哲学)
私たちは、なぜ学ぶのでしょうか?
- 生きるために(生存・仕事・社会との関わり)
- よりよく生きるために(自己実現・幸福)
- 知ることそのものを楽しむために(好奇心・探究心)
この問いは、教育であり、哲学であり・・・「学び=人生そのもの」と言うような視点です。
② 何を学ぶのか(対象・内容)
学ぶ対象は時代や状況によって変わりますが、根本的には以下のように分類できます。
- 知識(what):事実、概念、理論
- スキル(how):技術、方法、手順
- 態度・感性(why):考え方、共感力、美意識
今まさに教育の分野で変革が求められている視点としては、単なる「知識の記憶」ではなく、「意味や価値を見出す力」と思います。
③ どう学ぶのか(方法・プロセス)
学び方にはさまざまなスタイルがあります。
- 受動的学び(読む、聞く、覚える)
- 能動的学び(試す、失敗する、振り返る)
- 共同的学び(仲間と語る、教え合う)
- 内省的学び(自分自身と向き合う)
特にこれからの時代に必要なこととして、他のブログでも紹介していますが、「正解を当てる力」ではなく、「問いを立てる力」と言えます。
語源が教えてくれる「学び」の姿勢
このように学びの本質を考えるとき、私の趣味的にもついつい語源にも注目したくなってしまいます。
東洋の「学」 →努力と自己鍛錬
「学(まなぶ)」という字には、「無理をしてでも身につける」という意味合いがあるとされます。
これは「自らに負荷をかけて成長するプロセス」としての学びです。まさに修行や鍛錬の姿勢というわけです。
西洋の「スコレー」 →自由で創造的な余白
一方、ギリシャ語の「σχολή(スコレー)」は「余暇」を意味しています。
この言葉が、やがて「スクール(school)」となりました。
しかし、スコレーは単なるヒマではありません。
それは・・・
日常の労働から離れて、哲学や芸術、探究に専念する「心の余白」
つまり、「知的な遊びであり、自由な問いの時間」だったのです。
二つの視点のあいだで
「無理をしてでも得る学び」と、「自由で喜びに満ちた学び」。
どちらが本当の学びとい言えるのでしょうか?(※フリのような問いですね)
私はもちろん、その両方が必要で、どちらも尊いものだと考えています。
すごい努力の中に喜びや楽しみを見いだすことも大事だし、自由な遊びのような時間の中に意味を見つけることも重要ですね。
要はバランスだと考えます。
だからこそ「学びは本来、楽しいはず」
このキャッチフレーズに込めた思いは、決して「楽をしよう」とか、「努力よりも遊ぶ方がいいんだ!」とか、0か100いうものを言いたいわけではありません。
むしろ、
問いを持ち、世界を見つめ、自分の意味をつくっていく――そのプロセス自体が楽しいはずだ。
ということです。
子どもたちも、大人たちも、誰もが「学びの余白=スコレー」を取り戻し、
「知るって面白い」「学ぶって楽しい」と感じられる場を、これからも一緒に創っていけたらと思っています。
おわりに
AIがどれだけ発達しても、「問いを持ち続けること」「意味を見つけようとすること」は、人間だけの営みです。
だからこそ、私はこれからも問い続けながら自分のできることを探求していきます。
学びは、本来楽しいはず。




