プログラミングの学びは「主体的・対話的で深い学び(アクティブラーニング)」が自然と成立するもの
過熱するAIに関するニュースと噂
AIの進歩が止まらない近頃。
色んな人が
「AIのここがすごい!」
「最強のAIはこれだ!」
なんて、過熱していますね。
とても便利なツールが競うように出てきます。
これから先、プログラミングを知らない初心者でも簡単にアプリを作れるようになるのは当たり前の時代になる・・・
そんなプログラミングの「民主化」が進んでいくことでしょう。
誰もが手軽にアイディアを形にできる時代が、すぐそこに来ています。
向き合うべき課題と認識
たとえば、算数や国語で考えてみましょう。
大切なのは、ただ数を数えられることや文字を読めることではありません。
それらのスキルを使って、新しい発想を生み出し、より便利な暮らしを築いたり、
自分の夢を実現したり、社会や人生の豊かさを追求することに算数や国語を学ぶべき本来の意味があります。
語弊を恐れずに言うと・・・
「より豊かに生きるために」、人は学ぶのです
AIによって簡単にプログラミングすることが出来る時代になり、いよいよ「目的ではなく、手段である」という至極当たり前の認識がまずもう少し広まればいいなというのが、1つ。
そして、バイブコーディングのような手軽な手法に実際に触れた人々が、「私たちは何を創造するべきか?」という本質的な問いに向き合ってくれて発信してくれたらというのがもう1つの思うところです。
教育という文脈・プログラミングという文脈
こういった変化や考え方は、学習塾やプログラミングスクール、さらには学校現場においても大きな意味を持っていて、決して別の問題ではないと考えています。
私たち教育者が育てたいのは何のか。
「コードの書き方」なのか?
「数字の数え方」なのか?
「文字の読み方」なのか?
それらはとても大事なことであるのは当たり前ではありますが、再度「教え方」・「学び方」について自分がどのように考えているのか問わなければいけません。
よく聞くような、
学習指導要領が新しくなったから、とか、新しいAIが出ただとか、そんなことは起こるべくして起こる変化で、私たちが振り回される理由にはなり得ないはずのものと考えています。
「国語を、算数を、コードを、使って何を表現し、何を解決するのか。また、自分がどのような生き方をしていきたいのか」を考えられる力。
そのような力こそ、子どもたちに、ひいては大人にとっても大切なものなのではないでしょうか。
「プログラミング」なんて単なる道具であり、手段でしかありません。
※わたしはプログラミングスクールを運営している身ではありますがw
過熱するAI系のニュースに振り回されてはいけません。
いえ、むしろ、振り回されるような読み方をしてはいけません。
教育という文脈においても、プログラミングやAIの文脈においても、重要なのは
あなた自身の 「考える力」と「問いを立てる力」です。
願わくば、さらにその先へ
「テクノロジーや教育を通して、私たちはどんな社会を設計していきたいのでしょうか」 「どんな人生を、どんな価値観で築いていくのでしょうか」
そんな、大昔から当たり前のように考えてきたはずの、大事な思考を、少数の哲学者や科学者に考えさせるのではなく、わたしたち一人一人がしっかりと直面して考えられるなら・・・
きっと、多数決や〇〇主義ではない、新たな意味での「民主化」が来るのであろうと思いますし、社会と人がそのように変わってほしいと願っています。




