プログラミング学習が必要ないのは「特別な才能」 の子どもだけ

「ゲーム=悪」ではなく、「使い方=分かれ道」
子どもがゲームをすることに不安を感じる保護者の方は多いと思います。
特に、小学生が「フォートナイト」や「マインクラフト」をずっと遊んでいる姿を見て、「これ大丈夫なのかな?」と心配になることもあるでしょう。
ゲーム自体は、それほど悪いものではなくて、関わりかた次第で確かに色んな教育的な効果も出てくることがあります。
ただし、それは
「与えるだけにならない」こと
が大前提と言えますが。
今回は、よく子どもたちに人気の2つのゲームを比較しながら、子どもたちの発達や学習への影響について、前向きに、でも少しだけその危険性についても触れながら考えてみたいと思います。
マインクラフトの影響力
「マインクラフト=マイクラ」は、今や知らない人が少ないぐらいに認知度のあるゲームとして、子どもたちが夢中になっていますね。
映画の影響もあって、その過熱ぶりはいまだ収まるとことを知りません。
まずは好意的にマインクラフトの教育的な影響について並べてみます。
創造力や表現力
自分だけの街や冒険の舞台を作り上げることは、まさにデジタル上の「積み木遊び」と言えるでしょう。子どもたちは人のまねをしたり、あるいは独創的なアイディアで自分にとっての「最高の形」を整えてくれます。
論理的思考・プログラミング的思考
レッドストーン回路やMODの導入など、YouTubeの影響によって、より高度な「仕掛け」を作りたくなる子どもたちが出現します。その子たちは普通の遊び方では飽き足らず、「人には出来ないようなこと」をやりたがる中で、論理的思考を遊びながら働かせるのです。
空間認識や図形感覚
「クラフト」するわけですから、もちろん作るためにはある程度の「建築設計」的な思考が必要です。ぼんやりと考えるのではなく、そこには必ず「計画」や「企画」が生まれてきます。場合によっては、ちゃんと実際の数学的思考の応用が必要になるのです。
では、教育的に活かすにはどうしたらよいのか?
必ずしなければいけないこととして、「親もそこに関わる」ことです。
例えば、「何を作ったの?どうしてそうしたの?」とものすごい興味津々な顔をして聞いてみることや、達成したことに対するできるだけ大きな称賛を与えることです。
また、ある程度マイクラの話題を通したコミュニケーションが取れるようになってくると、親もそのマイクラワールドに参加して、一緒に遊ぶことも重要でしょう。
そうすれば、意気揚々として子どもは親の先生として教えてくれるかもしれません。
でも気を付けてください。
何事も「順番」です。
ちゃんとマイクラの話題を通したコミュニケーションが「笑顔で円滑に」出来ていることが最低条件です。
もしそれが出来ていないなら、まだまだ親の方が上から目線で、子どもの心を開かせていない可能性があります。
さて、お互いにマイクラで遊んだり、その話で盛り上がれるようになれば、いよいよ「課題」や「制限」を渡すことが出来るようになります。
この段階になると例えば、「でもこの建築もう少しかっこいいほうがいいな・・・」とか、「地下室とかエレベーター欲しいな・・」とか。
課題を提示することで、より子どもたちが思考を柔軟に働かせて考えてくれるようになるでしょう。
そして、ルールを決めるんです。
「もしできなければ罰ゲームね!」とかです(*^^*)
その際には、いたずらっ子の顔を忘れないようにして下さい。
いかがでしょうか。
マイクラ、かなり教育的な使い方できそうでしょ?
ただ、下記からはそれに比べて少し注意が必要な「フォートナイト」について書いてみようと思います。
フォートナイトの功と罪
一方、フォートナイトは「戦いながら生き残る」ことが目的のゲームです。
ポップな見た目と操作の楽しさから、小学生にも人気ですが、注意すべき点が多いのも事実です。
1.良い面
好意的な視点で見ると以下の面が「あることはある」と言えます。
- 瞬時の判断力・反射神経を鍛えることが出来る。
- 戦略を立てる力が必要なるため、ある意味で論理的な思考と計画性が求められる。
- チームプレイでの協力が迫られるため、仲間同士のコミュニケーションをどのようにとればよいのか、見ず知らずの人との接し方をおぼえられるかもしれない。
2.注意点・リスク
ただし、上記の良い面については、あくまで好意的に見た時のもので、基本は以下のような非常に強いリスクが存在します。
- 暴力的な内容(対象年齢は15歳以上):基本は「〇し合い」ですので、相手を倒した際の高揚感や、倒されたときのフラストレーションは、新たな負の感情や思考回路の形成に結びつく可能性があります。
- 強い依存性とやめづらさ:何度も快感による刺激を繰り返すことによって、自らゲームを止めるタイミングを見失い、周囲の声が聴きづらくなってしまいます。特に小学校段階から自らを厳しく律する子どもなんてそう多くはないのです。基本は様々な体験を年齢と共に得ながらやっと理解出来ていくのが「自制」なのですから。
- 課金によるトラブルや比較意識:興奮状態の子どもたちにとっては、どのように勝つのかが最大のポイントとなるため、必然的に課金への欲求が高まります。また、他者と比較されるのが当たり前の世界ですので、絶えず比較されることで生まれる負の感情は、どこまでも自分を認めることが出来なくなるかもしれません。
- オンラインでの暴言やトラブル:興奮状態では、暴言が出るのは当たり前になってしまいます。そうでないと「相手に負けた」ような気持ちになって、それを許せないからです。
- 「倒す・勝つ」が中心となる感情の高ぶり:フォートナイトの世界は「勝つこと」こそが正義となるものです。ですので、勝つこと以外は誰にも許容されないのが当たり前とも言えます。子どもたちが勝ったことで喜んでいたとしても、それ自体に一緒になって喜ぶことで得られることと言えば、「次も勝つぞ」という新しい欲求だけにとどまるかもしれません。
「非常に」大きな大人の関与と対話が鍵になる
私自身の意見として、フォートナイトを小学生がプレイするには、デメリットを上回るほどの大人のフォローが必要だと感じています。
もっと言うと、あまりフォートナイトを欲しいからという理由だけではお勧めしません。
特に、
感情のコントロール
勝ち負けに一喜一憂しすぎたり、イライラして暴言を吐いたりするケースが多すぎます。そういった言動がよくあらわれることを親の方がまず知るべきです。
依存や生活リズムの乱れ
「あと1回だけ」「友達が待ってるから抜けられない」と言って、宿題やご飯が後回しになっていくことも珍しくありません。
これはどのゲームでも言えはしますが、戦いの途中でセーブできるわけでもありませんので余計にとなります。
周囲の価値観に巻き込まれやすい
「あのスキン持ってないの?」「課金してないの?」という、子ども同士の比較がストレスになることも。
価値観は人それぞれあってもいいものですが、フォートナイトの世界はそれをあまり許しません。より高みに上るためにはフォートナイトというゲームが提示する強さの秘訣を極めなければいけません。
だからこそ、保護者がゲームを与えるだけにとどまるのではなく、この時こそゲームをする際のルールを決めること、そして、一緒に話すことや見守ること、最後に、親はゲームの内容がうまくわからないとしても、ちゃんと子どもの声を聴き、共感することによって、「話を聴いてくれる人の話」に耳を傾けてくれるようになるでしょう。
「遊び方」を一緒に学ぶ時代へ
ゲームを一律に禁止するのではなく、「どうやって付き合うか」を一緒に考えること。
これが、今の時代に新しく必要な「メディア・リテラシー」の育て方とも言えます。
誤解を恐れずに言うと、
「遊び」は子どもにとって、もうひとつの「学びの場」
でもあります。
ですから、大人がちゃんと子どもがどんな遊び方をしているのか見守り、共に寄り添うこと。
それが、マイクラでもフォートナイトでも、子どもにとって価値ある体験へとつながる鍵になるかもしれません。
おわりに
どんなゲームも
「使い方」しだい
「遊び方」しだい
ルールと見守り、そして「ゲームの話を真剣に聞いてくれる大人の存在」こそが、子どもにとって一番のセーフティネットなのかもしれません。



