不登校について考える
最近つくづく感じることがあります。
50代も半ばを過ぎ、
年齢を重ねて、
子どもたちも自立して
私から飛び立っていく中、
果たして、私の人生は
今までこれでよかったのかと
振り返り考える時が
増えました。
どんな名声や地位があってもなくても、
どんなにお金があってもなくても、
人は平等に老いていくし
死んでいきます。
本当に平等に。
その日は、美しく細長い三日月の夜でした。
そして、父の85才のお誕生日でもありました。
子どもたちも集まり、
私は手作りの料理を持って
実家に行きました。
アップルパイにろうそくを立て、
明かりを消して
炎が父を照らし、
父がろうそくの炎を
一気に吹き消そうとした時、
その時、
父の一滴の涙が光って見えました。
「あと、何回、
この日を迎えられるのだろう。」
そう思いながら、
すべての人に平等の死は、
父にも当然訪れる日が
来るのだと思いながら、
父のささやかで美しい涙を
見つめていました。
昔、父を許せない時代がありました。
父を恨んだ時代も、ありました。
でも今、父は、
間違いなく、
私に愛されています。
そして私は心から
父を大切に思っています。
心の中の私の様々な葛藤が過ぎ去って、
父は、人として
私にとっては、
最大で、唯一の父であると
思えるようになっています。
私もいつか、
父と同じ年代になってるとして、
そのとき、この一滴の涙を
ささやかで美しい涙を
流せる人間でありたいと思っています。
そんなことを感じさせてくれた
三日月の夜でした。