会話のすれ違いからくる諍い
夏が幕を降ろそうとしています。
あの夏の熱い空気や、
焼けるような光、
体中の全てが蒸発してしまいそうな、
生死をさまようような
あの怒りに近い環境は、
すべて、少しずつ
思い出となりつつあり、
秋の訪れとともに、
すずしげな風は、
なぜか、あの頃とは違った空気を
感じさせてくれる頃となりました。
男と女のドラマを毎日のように見て、
感じている私は、
この夏の終わりかけの時期は、
やはり悲しげな時期でもあります。
ここに来ている夫婦や恋人たちは、
確かに花を見て笑い、
青い空をみて
どこまでも登れるような希望に
満ちていて、
触れ合うたびに心が躍り、
お互いを愛しいと思っていたはずなのです。
なのに、あの頃は、
遠い遠い憧れになって行ってしまっています。
好きだよ。と
素直に伝えたはずが、
今は、会話をすること、
話し合うこと、
好きだよということに、
どうしてなのか、
意味や理論や形が
必要となってしまったのです。
まるで夏から秋に
変わったかのように。
男はあの頃のようでなくなり、
女に話すことがめんどくさくなっていて、
それを、仕事のストレスのせいにしています。
女は優しいことばをかけることも忘れて、
男が気づいてくれないことや
わかってくれないことや、
いつも疲れていることにいらだちを感じ、
私だってこんなに大変なのにと
文句ばかりを言う
美しくない物と
変化してしまっています。
男は、癒しのない家に帰らなくなり、
女は、子どもと一緒に残されて
ますます悲しくつらく
醜く孤独になっていきます。
女性たちよ、私たちは
命をかけて1つの命を
生もうとした時がありました。
男たちよ、あなたたちは
妻と子どもをたしかに守ろうとしました。
あの時。
その、在り方が今は変わってしまったのは、
相手のせいではなく、
自分の心の変化です。
相手の責任にする前に
自分の変化に
まず気づいてほしい、
と思ったりしています。
夏は終わりかけているけれど、
落ち着いた、安らかな秋が
訪れようとしています。
秋は秋で
とても美しいはずなのです。
男と女は、
これからが本当の意味で
実を結ぶ時なのだと
私は思いたいのです。