Christmasのプレゼント
愛犬がなくなり
1ヶ月になろうとしています。
16才になる少し前でした。
腎不全で
半年間、点滴などの介護を
し続けていた犬でした。
人間の命の重さと
一緒にしているわけではないのですが、
私にとって彼女の命は
大きな大きな
かけがえのないものでした。
彼女は最期は夜中9時間、
苦しみ、鳴き続け、
スプーンから少しのお水を飲んで
息をひきとりました。
あれから、いまもまだ
私は夜中に急に目が覚めて
彼女のぬくもりを
探しています。
最近「痛くない死に方」
「苦しまない死に方」という話題を
よく新聞の広告で見ると
彼女の最期の亡くなり方を
受け止められない自分がいます。
私の両親も
もう80歳をとっくに過ぎ、
いつ、その最期が訪れても
おかしくない時期になっています。
痛みや苦しみを与えないために、
薬で眠るように少しずつ
終わらせていく形がいいのか、
それとも、
最後まで、痛みや苦しみや悲しみや
つらい感覚の中であっても、
感動や喜びや感謝を
感じられる意識があることがいいのか、
つまり、残る人に最後のことばを言い残そうとする
意志があるということ・・・
どちらが、
本人も周りも幸せなのか・・・
考えさせられています。
彼女の死は、
私に生死の意味を
本当に深く考えさせる
きっかけとなりました。
そして、私自身、これから先、
生きていくことの意味と
向き合い、考えることが多くなりました。
私はこれから先
何のために生きるのか、
または、何のためにと
考えない生き方は
はたしてあるのか・・・
生かされていることに
感謝するだけでも
人生はいいのか・・・
彼女の死を
決して忘れることがないのと
同じように、
果てしないテーマを
見つめ続けていこうと
思っています。