防災の日
1985年8月12日、
日航機123便が群馬県の御巣鷹山に墜落。
520名の尊い命が失われてしまいました。
生存者は4人でした。
このような事故が二度と繰り返されないようにとの願いから
「航空安全の日」が制定されました。
遺族らがつくる「8・12連絡会」が編集した
メッセージ集のタイトルから「茜雲忌」とも呼ばれる。
●日本航空株式会社 HPより
JA8119 御巣鷹山事故(123便事故)
JAL123便JA8119号機は、1985年8月12日、乗客509名、乗員15名が搭乗して、
18時12分大阪(伊丹)空港に向け羽田空港を離陸しました。
巡航高度24,000フィート(7,315メートル)に到達する直前、
伊豆半島東岸に差しかかる18時24分35秒、
同機に「ドーン」という音と共に飛行の継続に重大な影響を及ぼす異常事態が発生しました。
機体後部圧力隔壁が破壊して、客室内与圧空気が機体尾部に噴出し、
APU(補助動力装置)及び機体後部を脱落させ、垂直尾翼の相当部分を破壊し、
それに伴い動翼を動かす油圧装置が全て不作動となりました。
以後、同機は激しい上下・蛇行運動を繰り返しながら約32分間飛行を続けましたが、
18時56分頃群馬県多野郡上野村の山中(標高1,565メートル、御巣鷹山南方の尾根)に墜落しました。
本事故の原因は、同機が事故の7年前(1978年)大阪空港着陸時に起こした尾部接触事故の修理に際し、
ボーイング社により行われた後部圧力隔壁の上下接続作業の不具合にあり、
7年間の飛行でその部分に多数の微小疲労亀裂が発生、次第に伸長し、
この飛行で隔壁前後の差圧が大きくなった時点で亀裂同士が繋がり一気に破壊が進み、
2ないし3平方メートルの開口部ができたものと推定されています。
(運輸省航空事故調査報告書要約)
捜査・救難活動は事故後ただちに開始されましたが、
人里離れた山中でもあり、墜落場所の確定も遅れ、救難隊の現地到着は翌朝となりました。
乗客・乗員524名のうち520名の方が亡くなられ、4名の方が重傷を負われながらも救出されました。