【M&Aで決算書を見るときの着眼点】損益計算書編~自社とのシナジーを見据えた売上と費用の分析ポイント~

帝国データバンクの調査(2025年)によれば、事業承継における従業員などの内部昇格の割合は36.1%と、はじめて第一の承継手段となりました。「信頼できる社員に継いでほしい」という経営者の選択が、時代の主流になりつつあります。
しかし従業員承継には、親族間承継とは異なる固有の難しさがあります。最大の課題は「株式取得資金」と「経営者としての自覚の育て方」の二点です。この二つを解決するためにも、計画的な準備期間が不可欠です。承継完了の5年前が動き出しの目安です。
5年前──後継者の「選定」と経営への誘い
親族承継と違い、従業員承継では「誰を後継者にするか」の選定から始まります。技術力や営業成績だけで選ぶと失敗しやすく、「経営判断ができる人間かどうか」「従業員からの求心力があるかどうか」を見極めることが重要です。
候補者が定まったら、意思確認のステップに入ります。ただし、ここで注意が必要です。いきなり「会社を継ぐ気はあるか」と問うのは得策ではありません。「継ぐか継がないか」という1か0の選択を迫られた社員は、覚悟が定まっていない段階では「ノー」と言いやすいからです。
お勧めするのは、まず「経営への参画への誘い」から入ることです。「経営会議に参加してみないか」「銀行との交渉に同席してほしい」「この新規事業の舵取りを任せたい」──こうした形で、経営者の視点に少しずつ触れる機会を意図的につくっていきます。その経験を積み重ねる中で、候補者自身が「自分にもできるかもしれない」という手ごたえを感じ、覚悟が芽生えてくる。そのタイミングで承継の意思を改めて確認する、という流れが自然です。
経営者としての自覚は、外から植え付けるものではなく、本人が内側から育てるものです。その環境をつくることが、この時期の経営者の役割です。
また、この時期から株式取得の資金計画にも着手してください。従業員は親族と異なり、自己資金が潤沢でないことがほとんどです。日本政策金融公庫や民間金融機関による事業承継融資の活用、持株会社を介した方法や段階的な株式取得スキームの検討など、専門家や金融機関を交えた設計を早めに始めることが重要です。
3〜4年前──幅広い業務経験と「外の世界」を知る機会
後継者候補には、できるだけ幅広い仕事を経験させることが重要です。営業しか知らない、あるいは製造現場しか知らないまま経営者になると、社内の他の機能に対する理解が薄く、意思決定の視野が狭くなりがちです。営業・製造・財務・人事・仕入れといった各部門を順に担当させる「ローテーション型育成」を意識的に設計してください。
また、自社の中だけで育てることにも限界があります。同業他社や取引先への出向・研修を検討することも有効です。同業他社の経営手法を肌で知ることで、自社の強みと課題が客観視できるようになります。取引先での経験は、「お客様の側から見た自社」を理解する機会になります。こうした外部経験は、後に経営判断の幅と深さとして返ってきます。
2〜3年前──「足りない部分」を恐れない権限移譲
部門長や特定プロジェクトの責任者として損益責任を持たせ、自分の判断で動く経験を積ませます。
ここで経営者が陥りやすい罠が、「まだ早い」「もう少し鍛えてから」という先送りです。しかし現実として、従業員後継者に「完璧な経営者」を求めることはできないと考えた方がよいです。どの後継者にも、得意なことと苦手なことがあります。それは当然のことです。
大切なのは、後継者の「良い部分」を活かし、舵取りを任せる覚悟を先代が持つことです。苦手な部分については、先代や周囲のベテランがしばらくフォローしながら、後継者自身が自立していくプロセスを支える、という関わり方が理想です。「全部できるようになってから任せる」では永遠に任せられません。任せながら育てる──これが従業員承継の肝です。
フォローとは口を出すことではありません。後継者が判断に迷ったときに相談できる環境を整え、求められたときに助言する、という姿勢が重要です。先代が過度に介入すると、後継者は「自分が経営者だ」という自覚を持ちにくくなります。
この時期に見落とされがちなのが「他の従業員への説明と関係整備」です。後継者より年上のベテラン社員が社内にいる場合、その人たちがどう受け入れるかが承継の成否を左右します。先代が「なぜこの人を選んだか」を従業員に誠実に伝え、ベテラン社員の経験を活かせる役割を設計することが重要です。
1年前──対外信用の移転と経営者保証の解除
取引先・金融機関・業界団体への後継者紹介を進める時期です。先代が同席して後継者を前面に立て、「次の経営者はこの方です」というメッセージを対外的に発信することが、信用の移転につながります。
経営者保証の解除も、この時期に本格的な交渉を進めてください。保証解除には財務要件の整備と一定の交渉期間が必要です。後継者が個人保証なしで経営をスタートできるかどうかは、その後の意思決定の自由度に大きく影響します。承継直前では間に合わないケースもあるため、できれば2〜3年前の段階から金融機関との対話を始めておくことをお勧めします。
まとめ──「5年」を逆算して、今日動き出す
従業員承継の難しさは、株式取得という「お金の問題」と、社内外の信頼構築という「人の問題」を同時に解決しなければならない点にあります。どちらかが欠けても、承継はうまくいきません。
そして何より必要なのは、先代経営者が「この人に任せる」と腹をくくる覚悟です。完璧な後継者を待っていても、その日は永遠に来ません。良い部分を信じて舵取りを委ね、足りない部分は一緒に補いながら自立を促す。その関係性の中に、従業員承継がうまくいくヒントがあります。
承継完了から逆算すれば、動き出すべき日は「5年前」、つまり今日かもしれません。


