オープンカウンセリングとは、カウンセリングを公開して行うとりくみです。
月曜日の朝、ポートランド空港に着いた。構造物のあちらこちらに木材を使っていることになぐさめられながらもよろよろと通路を歩く。相変わらず自分がどこに向かっているのかわからないでいたが、行き先の書いたメモを持っていることは悪くない気分だった。昨晩持ち物にまよったが、ありったけの包帯と2日分の下着をリーボックのジムバックに積めてみた。ビサはなんにもいらないんじゃないと言ったが、だいたいアメリカの研究所にサンプルとして行くのに何を持っていけばいいのか分かる人なんてそんなにいないと思う。機内で少しも眠れず、研究材料としてぐちゃぐちゃにされることばかり考え愚痴なのか未練なのかわからない遺書らしきものを書きなぐった。ビサに、立て替えてもらったガス代と電話代を返せてないごめんと書いた。
空港を出るとまぶしい太陽と青空と涼しさが同居していた。ちぐはぐだけど気持ちの良い天気だった。おかげで何をしに来たのか忘れそうになる。早い朝の異国の地でどぎまぎしながらタクシーに乗る。運転手は顔の包帯をちらっと見たが何も言わない。カーステレをから聞こえてくる懐かしいロック・ギターに救われる。流れる景色と人々の日常。通勤や通学やジョギングやあれこれ。ぼくのヒフがただれようがひどい二日酔いになろうがなんら関係なくくりかえされているのだなあ。帽子を深くかぶり顔をかくしている自分は誰で何をしようとしているのかがますますわからなくなる。
空港から15分ほどで研究所に着いた。赤茶色のレンガづくりのこぶりなビルの前でタクシーを降りる。とにかくここが目的地らしいが胃がきゅううとなる。看板などはなく、小さな入口の脇にオフィスの名前がいくつか書かれていた。「ドクターボノ」というサインプレートを見つけてなんだかわからないがほっとした。小さな入り口入っていくと、PCに向かっていた受付の女性が僕に気がついてハイと言った。彼女は僕の目を覗きこんで、誰を?と眉をあげた。ぼくは自分の名前とドクターボノと言った。彼女がうなずいて受話器をとった。彼女の健康そうな白いヒフをぼーっと見ていると、ボノがひとりでぶらぶらと廊下を歩いてきた。ハグされた。
「よくきた」
彼に会うのは2度目だが、しばらくぶりに実家に帰って父親にあったような感じがして照れた。彼は診察室でぼくを診察台に座らせるとすぐに包帯の隙間からぼくの目にライトをあてた。そして包帯をときヒフを指で触りはじめた。この青い目の医師はあいかわらず何も言わずさっさとはじめる。彼が何かをしようとしている意志はぼくを心の底から安心させた。これまでぼくにとって病院とは、長い長い待ち時間に耐えること、診察室でヒフをボールペンの先でつつかれること、「セラを上手に使いなさい」とくりかえしたしなめられること、来た時と何も変わらない痛みと苦痛のまま帰ることの連続だった。ひどくなっているような気がする、などと言おうものなら、
「それじゃうちでは診察できませんね」と恐怖政治がはじまる。なので黙ってしまう。病院に行くたびに長い時間をかけてお金を払い必ず落ち込んで帰る。
「すぐもどる」と言ってドクターはドアの外へ出て行った。
小さな手洗い場と照明装置しかない診察室に一人取り残されたぼくはついにきたと思った。おまえは特殊な病気で治る可能性はない。だから思いきって研究サンプルとして死んでくれと告げられる。驚いたことにそう思うと気が楽になった。自分はこれまでよくがんばったなあと。もう終わるんだと。廊下でドクターが誰かと話しているのが聞こえる。早口でなんだかわからないが貴重だとか誰と誰をよべと聞こえた。ばたばたとぼくの周りにノートを持ったりi-padやヴィデオカメラを持ったりした白衣の男女が集まった。オオサカで会った背の高いあごひげの男もいた。みな真剣で興奮した表情をしている。ドクターは撮影やら録音やらを許可してくれというようなことを言ったがぼくには研究材料としてヒフを切り刻むと聞こえた。背の高いあごひげの男がゆっくり日本語で訳してくれたが全然あたまに入らなかった。ぼくは覚悟してここまできたのでOKだ、死ぬ前に少し時間の猶予があるならスシををつまんで冷たい日本酒を飲みたいというような冗談を添えて返事をした。気まずい状況を取り繕うくせがついていてそれは小さいころ家族で辛いシーンが多かったのでシリアスな空気を避けようとか支えようとかすることを生きのびる術として身につけてしまったのだと大人になってから知ったけど、そんなこともどうでも良くて、いま自分が見知らぬ土地の見知らぬ病院の診察台で死ぬ間際にもそんな傾向を発揮していることが情けなく卑屈な顔をつくってしまっていやだなと思ってSUSHI、SAKEという単語をオーバーに発音して白衣の男女に笑いをとってやろうとしたけどドクターを含めて全員がぽかんとしていた。汗がどっと吹き出るのがわかって恥ずかしさで今すぐに死にたくなった。