ただただ、浮上してくる「表現型」に敬意を持ってとりくむプロセス
蒸し暑い梅雨のはじめの夜。ガクダイ駅を降りて、近くの路地にある中華食堂で日替わり定食をビールで流し込んだ。雑誌を読むふりをして15分をかけた。今日も生き延びることができたが、生き延びる以外にできることがない。手足、身体にワセリンを大量に塗って包帯を巻いてシャツとズボンをはいて、なんとか歩いたりカバンを持ったり見積もりを作ったりしているが、髪の毛の脱毛、粘膜むき出しで痛みにひきつった顔は、あちこちのオフィスのガラスに映るとバケモノのように見えた。
大瓶をもう一本だらだらと飲んで痛みから逃げてみた。
街灯の少ないトーヨコ線の高架沿いをとぼとぼ歩いて自分の部屋にたどり着いた時にはシャツは体液と汗でぐっしょりとぬれていた。ドアを開けてでんきを点けたとたん強烈な不安が襲ってきてもうぜんぶ止めてしまいたくなった。狭い台所に倒れ込み天井のしみを見つめ左の手首を噛んで叫びたい衝動に耐えた。ひくひくした胃とまとわりつくシャツの感触がものすごく気持ち悪くてこのまま気を失いたかった。
敷きっぱなしのふとん、干しっぱなしの洗濯物の匂いは負け犬くさくて何かを思いだしそうになって泣きたかったが泣けなかったし泣いてもなんの解決にもならないことを知っていた。このままでは発狂してしまうが、自分はまだその準備ができていないのでいまはとうめんの薬を飲んで眠ってしまうことにした。
ぼんやりしてきて、もうちょいで薬が効いてきてこの気分は終わると知っていたが、まだ心臓はずこずこと鳴っていて警告を発していたので意識的に意識をかわして発狂をやりすごす。上の部屋から居酒屋にかかっているような音楽が聞こえたし、隣の部屋の女がシャワーを使っているごーぉぉぉという音が聞こえていて自分がまだこの雑な世界にいるのだ思えた。絶望のようなものを自覚すると発狂をまぬがれるのだろう。
「あしたふつうに会社にいきてぇな」と言葉にしてみた。
何かと繋がって、明日まで生きのびる理由がなんでもいいから欲しかった。
ぼくはいつもの戦場にいた。部隊は明らかに劣勢で迫撃砲がピンポイントで迫ってくるしその間隔はとても短い。ぼくは銃を胸にかかえてうずくまっている。ひっきりなしに誰かが誰かにどなっているが何を言っているか聞き取れない。たぶんここにとどまっていれば確実に粉々な肉片になるし自分たちの兵力では何も解決しないことがわかっていた。左前方に迫撃弾が炸裂して重機がふっとんだ。息ができないほどの大音響で耳が覆われて気がつくと大声で何か叫んでいた。自陣の攻撃は散発的で指示系統は寸断されていた。あの1・9わけの部長はどこへいったのだ?迫撃砲の着弾精度が増している。正面から10ミリ機銃掃射が続いていて頭を5センチも上げられない。完全に十字砲火されつつあった。逃げなくてはいけない。何かの犠牲になってはいけない。1・9わけをぶん殴らなくてはいけない。ぼくは迫撃砲の間隔をついて塹壕を這い出た。あごを地面にこすりつけながら死に物狂いで森の方角へ両手両足をばたつかせた。コーヒー色の水溜りに顔を沈めたところで意識が浸出液でぐしょねれのヒフと衣服の感触にもどった。
朝なのだろう。薬の残り香が頭の中に霧のように残っていてどんよりとしていた。顔の周辺のヒフはガビガビに乾いて枕にくっついていることが分かったので目をあけたくなかった。間接のヒフがひきつっていて動くと裂けるように傷んだ。柿木坂をのぼるクルマがシフトダウンしてアクセルをふかすエンジン音、しゅぅぅぅというアスファルトを駆けるタイヤの摩擦音、メグロ駅行きバスのドアのぷしゅぅぅぅという音、エアコンの室外機のぶぅぅぅんごぅぅぅという日常的なノイズが重なって耳鳴りのように聞こえた。たれている黄色い汁でまぶたがくっついていた。まつげを全部抜いてしまわないようにおそるおそるかさぶたをコリコリとおとして目をあけた。つけっぱなしのテレビで地震の状況がリポートされていた。瓦礫のやまを捜索する救護者と呆然としている住民らの顔が映し出されていた。それがドラマなのか現実なのかわからないが、ヒフの激痛は自分がまだ生きていると告げていた。
時計を見た。会社に病欠の電話を入れなければまずい。今日自分が生きのびられるかどうか自信がなかった。人々が避難し毛布に包まっている映像を見ながら、自分に何かできることはあるのかと気持ちを奮い立ててみようと思ったが、今朝のリバウンドはこれまでにないほど強烈で、身の程を知らない自分勝手な気力は冗談ぬきで一滴もなかった。会社に電話した。
「バカヤロゥ。体調わりーぐらいで会社を休むんじゃねぇよ。普段の心がけが悪いんじゃねえか?会社には這ってでも来るものだ、おまえは広告マン失格だ」
黄色い浸出液でぐしょぐしょの衣服のまま天井のしみをしばらく見た。受話器を置くと猛烈なかゆさが爆発して両指が折れそうなくらいあちこちをかきむしった。止まらない。手が血だらけになる。乾いている部分はヒフと衣類がくっつきはじめていて、身体を起こそうとするとひきつる。悔しくて悔しくて胃がこわばり口から出てきそうでなんども飲み込んだ。1・9部長のひととなりはどうであるにせよ彼の言った事はその通りだと自分も思っている点が悔しかった。あなたはまともではないから治療はできないと言う医者、這って会社に来いという1・9部長の顔を思い浮かべ、悔しさだけで心臓を動かし貧しい血液をめぐらせた。
ユニットバスに向かって2メートルをほんとうに這った。指を一本づつひきはなし蛇口をひねった。衣服のままシャワーを浴び薄い汁状の血だらけの手を洗い顔にひっついている髪の毛を剥がし、かさぶたをお湯で溶かし腕や首に湯をかけながら張り付いている衣類をちょっとずつ剥いだ。うぐがぁぁあと傷口に水が染みてくる激痛を耐えて歯をくいしばった。
「ふざけろ!」
「くそ!」
小さなユニットバスの箱の中でシャワーの音にまぎれてくりかえし悪態をついた。
衣類を剥ぐのに40分かかった。毎日症状が進行していた。顔はたぶんもう顔ではなかった。ヒフがはげ落ち筋肉繊維が露出していて感染症を起こしていることはしろうと目にも明らかだった。黄色と黒のかさぶたがびっしりと左側の目からほお、くびまで覆っていた。湯を浴びて濡れている時はましであったが、シャワーを出ると瞬く間に全身のヒフが紙のように乾いて、ほんの少し動くたびにビリビリと破れ激しく痛んだ。ぼくは這って会社にいけるのか?
ダースで買い積み上げてある包帯の箱をはしからやぶり、石膏のような収れん剤を全身に塗り包帯をまく。右側にはなかなかまけないので時間がかかる。
電話を切ってから2時間ほどたって、顔首両腕両足腹と背中に包帯を巻き終えた。冷蔵庫の紙パックのオレンジジュースで抗生物質、抗うつ薬、向精神薬、かゆみ止め、抗アレルギー薬やらなんやらの11種類の薬を飲み込んだが悔しさはとっておいた。6畳の部屋は爆撃された木工所の跡のようだった。フケのような落屑とめくれたヒフと包帯とガーゼの残骸が散乱していた。収れん剤の蓋を投げつけたが壁に小さな傷ができただけでよけい腹が立った。
「なんなんだこのざまはよ!」声を出してみると時々良いことがある。腹が減っているのに気がついた。何か食わないとまず普通に死ぬのだろうが、死ぬならまともに死にたかった。部屋には調味料より多くの種類の薬や軟膏があったが人間の食べるものはひとつもない。外に出るためには怒りの感情だけでは十分ではなくて警察に通報されないくらいにシャツを着てジャージをはいてマスクをしてサングラスをかけて帽子をかぶる必要があった。<2020.8.12>