TOTO バリアフリーラボ
両親と同郷のM様、夏から顔を見ないので連絡しようかと思っていたら、
先日、私の大好物のM様手作りの浅漬を持って来てくれた。
ご無沙汰だったのは、生家の家じまいに高知にしばらく帰っていたそうなのだけど、
いつも元気パワー炸裂な方なのに、ちょっと目をウルウルさせて、「寂しい」と話しだした。
自分も住めないので仕方ないことだけれど、
空き家となって朽ちていく生家を見るのも寂しかったのに加え、
その家の周囲に住んでいた親戚も若い世代に代替わりしていて、
昔なら、こんな事があったら近くの親戚が泊まらせてくれたりしていたけど、
帰省土産を持って行って挨拶したら終わりで、
滞在期間中は、生家から離れたホテルに宿泊して通っていたそうです。
血の繋がりのある親戚付き合いも自分が年を重ねたことで希薄化しているのを思い知らされて、
泊まらせて欲しいとか、何かして欲しいワケではないけれど、
人に対してもとても寂しい思いをして、、生家が形もなくなってしまったら、
もう、生まれ育った地とは無縁になると思ったんだとか。
生家が無くなったとしても、人が迎えてくれたら、寂しさも違うのでしょうね・・・。
時の流れで仕方のないことなのかもしれませんが、
こうした喪失感が、M様のこれからの暮らしの活力に影響しないとよいのですけれど・・・。
このことを、これからの人生を考える機会にして、
これまでのように、元気パワー炸裂のM様で輝き続けて欲しいものです。