2020年が終わる
もう10月が終わる。
月初めに母の四十九日を終えた。
満中陰志を送らないと…と思いながらテキパキとは掛かれず、そうこうしている間にもう11月が迫る。
喪中ハガキを出さなければ。
年末休みに入ってから年賀状を書いてるであろう仲間内の顔を浮かべると、慌てんでもいいか…となるが、年賀状発売日から着々と準備を始めるであろう母の知人友人方を想うと、急がねばと焦り出す。
印刷が上がって、文面に目を通し、宛名を書こうと住所録を繰る…
ふいに涙があふれる。
なんでこんなんかいてるんやろ…と理不尽な問いかけが湧き上がる…
以前にも書いたが、7月、まだ母がフツーに過ごしていた時から、「いつかくる時」に備えて⁇「終末期の暮らしを考える講座」の受講を始めていた。
予定外に現実が生々しく進み、後半の受講はかなり精神的にキツイものになったけど、なんとか9月で終えた。
そして、そこで案内のあった「グリーフケア講座」を申し込んでしまい現在受講中…
看取ったあと日がまだ浅い分、そうとうキツイ。わざわざ傷口に塩を塗りに行っている⁇自分がわからない。
でも、客観的に「哀しみ」をみることや、ああ誰でもそうなんやと知ることや、専門に取り組まれている方々のその姿勢…なんかが、ゆっくり心に染みていってる感じ。うまくいえないけど。
しかし、
「泣きたい時は泣けばいい」といわれても、泣きたいのとはちがうのだ。泣きたくなんかないのに、ただ泣けてくるのだ。泣かずにおりたいのに、このふいに勝手に涙が出るこの事象のやり過ごし方は、まだわからない。
とりあえず、日々のあれこれに追われていよう。
(これはグズグズの効用)