2020年が終わる
80歳の母に、「認知症」のようなきざしが最初に見えた頃から、ぼちぼち9年になる。
症状が進んでいくにつれ、いろんなことが出来なくなった。
(コラムで書いた日々が懐かしい…)
今では、フツーの会話や、一人で立って歩くこと、食事をすることも出来なくなっている。
昨年、ずっとそばに居てくれてた父が亡くなって、以来、週末のわずかな時間を家で過ごす…という生活が続いている。
その時々の状況によって、一人で介助できたり、二人でないと無理だったりしながら。
そんな今の暮らしと新しい⁇人間関係を、母なりにちゃんと受け入れているのだということが、最近、とても感じられる。
先日の帰宅時は、父の月参りの日だったので兄が居た。
私も居る。
突然、「おらへん」と言った。
(彼は仕事で不在デシタ)
トイレに入っている母の様子を見に行ったら、「トイレ終わったら来てくれる…」と言ってた。
トイレから出る母の手を「よいよいよい〜」と言いながら引いてくれる彼の顔を見ながら、「なんていうたらいいんか…」とちょっと困ったように言ってた。
彼のことを「なんてよんだらいいんか」わからんで困ってるんちゃうか〜と、思った。
(想像やけど)
家に帰ってきたら、娘か何かわからんけどよく知ってるのが1人いて、なんか知らん間にもう1人、手を引いたり、目の前で歌ッたりしてるデカイのんがおる…ということが、母にとって自然になっているようだ。
「認知症」が進んでいく中で、教わったコト。
「全部わかってる」し、「全部わからない」のだということ。
全部わかってても、上手く伝えられないだけなのだとわかった。
全部わからない時でも、こっちがわかっているから、全然かまわない。
そうして、気にしないまま過ごしていたら、「わかっている」という事実が、時たまご褒美のように現れる。
スマホに登録している、そんな「母語録」は、どんどん増えていき、こうして確信になったのだ。
「認知症」をとらえる時に知っていてほしい一番がコレだね。
「全部わかってる」
「全部わからない」
両方が相反せずに共に有る。
(科学で証明するのは、難しいんやろうなぁ〜)