2020年が終わる
廊下で会った主治医から、今の状態を聞いた。
いろいろ重なって衰弱はしてるけれども、今日撮ったCTでは、明らかに腹水が減っているので、一回やった抗がん剤の効果は、確かにあるとのことだった。
だから、希望があるので、高カロリーの点滴も入れて、体力を取り戻して、歩けるようになったら退院して、また治療をがんばって続けましょうと。
そして、バルーンカテーテル留置もして、オシッコのことも気にせずに、ひたすら静養と栄養補給に専念することとなった。
歩けるようになったら、すぐ抜くねんから…とのことで。
部屋に行くと、すぐに父がノートと鉛筆を取ってくれとゼスチャーし(しゃべるのがしんどいので)、そこに、「希望がある」と書いた。
うんうん、さっき会って聞いたよ
と言うと、にか〜っと笑った。
で、次の要求が、「髭を剃りたい」だった。(注:ゼスチャー)
先週退院後伸び放題だったのを、ようやく剃る気力が出たのだ。
髭剃り機が重くて、剃ってくれと、手渡す。
痩せすぎて、骨が出っ張りすぎて、しわに埋れて、なんとも剃りにくいので、不本意⁇な剃り上がりとなったけど、さっぱりしたと、うれしそう。(注:ゼスチャー)
持って行ったプリンとゼリーも、自分でスプーンで食べた。「美味しい」と言って。(注:ゼスチャー)
私以上に単純な父なので、「希望」の一言で、なんか、ぐんぐん元気になっていくように思えた。
ホントによかった。
ホントにおさわがせでした。
しかし、まあこの怒涛の一週間を体験して、改めて思う。
どういう心理状態になるかなんて、なってみんとわからんということ。
どんなに、備えたり、覚悟をしてても。
おそらく父も、どんどん動けなくなって行く中で、入院なんてしたら、もうそれっきりになるんじゃないか…という怖れが強かったんだと思う。
けれど、もしもその時の、入院はイヤだという意思を尊重し過ぎてたら、今日の「希望」には出会えなかったのだ。
何はともあれ、今日ほど、「希望」という言葉に救われたことはない。
正統に、単純な血を受け継ぐ娘は、今宵は心地よいほろ酔い気分で、眠れそうです。