苦しみとともに
NHKスペシャル「ヒューマン なぜ人間になれたのか」の第2回目。
人が集団で生きてきたから、仲間同士で生きてきたからこその仕組みについて
とても興味深い話があった。
グレートジャーニーと呼ばれる、6万年前にアフリカ大陸から、全世界に広がり始めた
人類(ホモサピエンス)の壮大な旅。
過酷な環境(氷期)の中、先住民であるネアンデルタール人との生存競争が繰り広げられる。
もし現在に、ネアンデルタール人が居たら、男女とも、オリンピックの全ての競技で
金メダルを独占する・・・といえるぐらい、我々とは異なる頑強な肉体を持っていたという。
その生存競争に勝つために生み出されたのが、「投擲具」という飛び道具。
力が強く、天性のハンターであるネアンデルタール人が、大型動物を狙うのに対し、
ホモサピエンスは、この「投擲具」で、数が多い小型動物を狙うことができた。
食糧を安定して確保できるようになったのだ。
肉体的に弱く、非力だったからこそ、手にした道具。
しかし、この、生きていくために獲物を狙っていた道具が、やがて、人に向けられて使うことになった。
集団の結束を強めるために、規律を破った者に対する「罰」、「制裁」として。
制裁用のやりが、規律を破った1度目には 「かかと」をめがけて投げられる。
2度目は「ふともも」をめがけて。
そして、3度目は「胸」をめがけて。3度はもう、許されないのだ。
(古今東西を問わず、あらゆる物語で描かれる“制裁”というのは、
この形と同じなのでは・・・と思い出す。)
進化の過程で枝分かれした、他の霊長類は、
生活する集団のサイズというのは、「脳のサイズ(大脳の新皮質)」に比例するという。
その原理で言うと、人間の「脳のサイズ」に見合った、集団のサイズというのは150人だそう。
「投擲具」を使った「制裁」を活用することで、人間はその集団の数を
飛躍的に増やしていった。
実験があった。
人は、他人の傷みを不快(心が痛む)なコトとして受け取る本能があるという。
しかし、罰として、他人が痛みを受けた場合は、快感を感じる脳の部分が反応するという。
たとえ人が傷ついても、それが「罰」なら、
当然だと受け取るのが人間の本能として備わってしまった。
人が集団で生きてきたから、
仲間同士で生きてきたから、
そのことがアダとなり、争いを激しいものとしてしまう、エスカレートさせてしまうということにつながっている。
(昔読んだ本に、
人は「正義のため」という名目で、最も残酷なことが行える・・・というのがあった・・・)
「正義」の名のもとに、「制裁」という名のもとに繰り広げられる争い。
それが遺伝子に組み込まれている人間の本能であるなら、
どうやって、その争いを 避けることができるのか・・・・で、次週続く・・・
「正しい」と思い込むことの怖さが、
本当にこのレベルで、しみついてるのだ・・・と愕然とする。
日常的に、これは「正しい」と、自信を持って言い切ることはほとんどないけど、
今ぐらいの、ちょっとぼんやりして、後ろめたいぐらいの情けなさで、
ちょうどいいんちゃうか・・・などと勝手な解釈で自分を慰める・・・
頑なにならないこと、
客観的に、ちょっと突き放して見ること、
人を攻めないこと、
心して、ココロして、取り組まないといけないのだと、思った。
次回の展開をまた楽しみに・・・