モニタリング 続き その2
地震のニュース。
流れる映像。
言葉が止まる。
息が苦しくなる。
ただただ、一刻も早く無事に救助されることと
被害が今以上に大きく広がらないことを 祈るばかり。
ずっと気持がざわざわする中、
毎朝届く「名言マラソン」(セミナーで隣り合った保険会社の方が
毎日書いて送って下さる)が、きちんと送られてきた。
今日の言葉は
「物事を必要以上に恐れたり、全く恐れを抱いたりしないことはたやすいが、
物事を正しく恐れることは難しい。(寺田寅彦 物理学者・随筆家)」 だった。
今、ここで、
感じていること、
再度、または、改めて取り組まなければと思うことに
真摯に向き合っていこうと思った。
16年前に阪神淡路大震災を体験はしたけれど
この地震大国日本の本当の恐ろしさを、本当には誰も正しくは知らないのだ。
何かあった時に必ず飛び交う“想定外”という言葉。
日常生活に置いては、“安全がタダ”だと思っていること。
昨年11月に、アスタの講演会で
「一生を分ける、一瞬があります」という話を聞いた。
(フォックスブルー株式会社 早川英樹氏 http://www.foxblue.jp/)
地震発生からの3秒、3分、30分、3時間。
それぞれで、最低限に必要な身を守る術を聞いた。
(それでも、“聴いただけ”になっていたことに また愕然とする・・・)
命を守る3秒。
水や非常食の確保よりも何よりも、全ての人がこの3秒、3分を学び、
日頃から訓練(実践)することで、少しでも命を守る可能性を上げられるならと思う。
これは、“正しい恐れ”だ。
どんなにやっても、自然の力は 人知では計り知れないけど。
過去から学び、未来に少しでも可能性を創ること。
それしかない。
昨晩、流れる映像に 母の様子もいつもとは違って、さらに落ち着きがない。
こちらの意識も母に向いていないので、結局、椅子に座ったまま おもらしとなった・・・
そう、目の前の、その母を見て、
もしも災害がココやったら・・・を考えた。
(それでも30分後に、無事やったところからの想定しかできないですが・・・)
足元を守る履物がすぐそばにない。
懐中電灯がすぐわかるところにない。
非常袋がまとまっていない。
避難場所は、すぐ隣に中学校がある。
オムツが絶対的に足りない。
治療薬も決まった分しかもらっていないので、予備が無い。
薬を飲ませる水がない。
そう、停電が長引けば、病院は自家発電があるけれど、
在宅で介護されている人の、人工呼吸器や、エアーマットはどうなるのか。
ギャッジベッドも動かない。
要介護者の安否確認のシステムは?
複数のサービスを受けている人なら、いかに効率よく複数の事業所が重なることなく
連絡をとって、その情報を共有できるか
必要な人に、必要な福祉用具を提供できるか
救助物資の中に 紙オムツや、介護食やらはあるのか
そもそも、避難所にたどりついたとして、そこで介護ができるのか
オムツは、衛生面を最優先としなければ、急場は吸収容量が多いものを使うほうがいいだろう・・・
まめな交換はできないやろうから・・・
あちこち考えが飛んで いろいろ浮かぶ。
きちんと、回答をみつけて、発信します。
今 無いものは、つくっていかな。
”今”の役に立たないことのはがゆさ。
遅い。
遅いけど、今せずに いつするか。
ここで、私ができることを やるのみ。