こころざし
ドラマ「四十九日のレシピ」(この前の火曜日が最終回)の中に、あった。
「~~の人生はテイクオフボードのようなもの。
親が子を支えるように、踏切板となって次の世代を前に飛ばすための人生・・・」
“テイクオフボード”= 踏切板 ・・・とても気に入った。
いや、言葉が気に入るというのではなくて、
その“生き様”、“あり方”そのものが、静かに、ず~んと心に響いた。
父や母だけでなく、今まで出会ったたくさんの人に支えられて、抱えられて(?)
バ~ンと前に飛ばしてもらってきた。
せっかく 踏切っても、歩数が合わなかったり、飛び損ねたり
勢いがつき過ぎて、顔からつっこんだり・・・・
なので、着地ばっちりに飛べて、決めれたことは 数少ないけれど
それでも今までも、今もずっと、私は飛ばしてもらっている人生だ・・・・
と、思った。
いつか、誰かの、何かの 無垢なテイクオフボードになれたら・・・と
心の底から 憧れる。
そもそも、そこを狙うことからして、すでにありのままの、自然な崇高さから
遠く離れているけれど・・・・・
ならば、不純さに開き直って、
今の、この周りのいろんな人達と、お互いに、飛ばし飛ばされする
“テイクオフボード同盟”でも名乗ろうか。
何ができるかはわからないけれど、何かは出来る。
人が人と出会って、つながり関わる中では、意識するかしないかは別で
きっとこの、飛ばし飛ばされの関係は、自然発生しているんやろうなとも思えるから。
テイクオフボード・・・
カタカナ長い(長いか?)の苦手なので、(そもそもエイゴでした・・・)
「踏切バ~ン同盟」で、いこっかな(どこにいくやら・・・)
また、成果報告(あれば)していきます(?)。