地球の奇跡
吉野未来フォーラムの話です。
パネリストさん達の「吉野が好き」という心が
とても伝わってきた時間でした。
ゲストの浜村淳さんが、「今の桜の危機の原因をどう考えるか?」と投げかけはった時に、
私の頭には、気候や、土壌など様々な理論的な理由が浮かんだ。
(自然を守ること、
子供たち、お年寄りが豊にくらすには・・・と考えるにも
頭が、方法(?)を探している。)
金峯山寺の執行長さんが、
「“桜”も“仏像”も そもそもは“拝む”対象だった。
それが いつの間にか“見る”ものになった。
そうなった頃から 少しずつ、いろんなものが おかしくなってきたように感じる・・・」
とおっしゃっていた。
畏敬の念。
無力さを知る。
当り前にあるのではない ということ。
太古の時代から 人が生きる中で自然に心身に刻んできたことが、
今は 教わらないと、学ばないと その入口すら 気づけない。
わかる・・・というところには、到底いかない。
なんか、そう 思い知った。
ホントに 身勝手に生きているんやと。
今の その気持ちを語ること、分かち合うこと、
そして、何か行動すること。
その積み重ね。
日々の暮らしも
何もかも。
そう 思った。