さわやかに
母も少々風邪気味で、昨日は どこにも出かけずに家でおとなしくすることにした。
ら、どっとしんどくなって 結局私が ほとんど一日寝こんだ。
母をほっとかないように、飽きさせないように 口では相手をしながらも
体は ほとんど寝込んでいた。(なんとまあふしぶしが 痛いこと)
究極の作戦は 膝枕(で寝させてもらう)!
これなら 動くとわかるし、なんか母も安心するみたい。
(うとうとしかけた母のよだれが、上から降ってくるというおまけは付く)
「病は気から」というのは あまり好きではない。
入院中にこの言葉を聞かされると ほんとうに悲しくなった。
相手にそんな気はなくても、自分の心のありようを全否定されるようで、
「病気になったんは、あんたが悪い」と言われているようで・・・
「頑張って」というストレートな応援は、
(状況によっては「もう十分 頑張ってます」と、ひねくれることもあったけど)
基本 体育会系やし“励まし”として嬉しかった。
正論として、確かに 気力と体力がつながっていることはわかる。
昨日は、自分に「寝込むことを許可した」時点で もう体が起きていられなくなった
と 理論上わかっている。
けど、正しいことって なんか ぬくもりがない。
と思うなあ。
自分で自分の性根を叩くためや、親ライオンが崖から子どもを蹴落とす状況では必要なこと。
愛の鞭。
要は 使いよう。
気力を保つために 鞭を使ったり「にんじん」ぶら下げたりしながら
なんとか、元気に、限りあるこの日常を 過ごしていこう。