自分の行動は自利利他に照らしてみれば
兵庫県三木市久留美慈眼寺裏山の豊臣秀吉三木城攻山城跡から
望む令和7年の初日の出です。
令和7年明けましておめでとうございます。
皆さまのおかげで、令和6年12月28日現在、商標登録出願件数で、全国5位になっています。
兵庫県三木市久留美という周囲が田んぼばかりの田舎で、特許事務所を経営して11年になります。
情報通信技術が発達した現在、田舎でも十分仕事ができることを示すことができて嬉しいです。
茨城県の安禅寺住職 染谷 典秀 さん の コラムの一部を紹介します。
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昨日も今日も同じ一日なのに、昨日は「去年」で、今日が「今年」になるというのは、考えてみ
れば不思議なことですよね。しかし、私たちは同じ毎日に新年という区切りを設けずにいられま
せん。
私たちの毎日は、当然それぞれの人によって異なりますが、目覚め、トイレに行き、食事を
とり、学び、働き、眠りに就く、という基本的な営みは共通しているでしょう。その営みを
丁寧に行って行っていくことを、禅は大切にします。
私たちは「今という時間」「ここという場所」を生きています。今・ここ以外に存在する
ことはできません。そこは「生きる現場」といっていいでしょう。日々の営みはすべて、生きる
現場のものなのです。
その営みを丁寧に行うことは、私たちの生を豊かにすることに直結します。そしてそれが
人生の礎となるのです。
それはすなわち日々を生きる心構えが大切であることを示しています。
だからこそ、ひとしい毎日に区切りをつけて一旦立ち止まり、自らの
「今・ここ」
を生きる心構えを改めて考えることが、私たちには必要なのでしょう。
(中略)
新たな年を迎えるにあたり、今日という日を、自らの内面を改めて考える一日としてみては
いかがでしょうか。
目覚め、トイレに行き、食事をとり、学び、働き、眠りに就くという営みが貴いものである
ことに、きっと気づくにちがいありません。
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生きるということは「今・ここ」の積み重ねでしかない。
だから、一日いちにちを丁寧に生きる。
そういうことですね。