絶対音感?相対音感?
入学シーズンです。
入学シーズンとなりました。
私も数十年前に大学に入学しました。
高校時代はあまり思うようになりませんでしたので、何とか取り戻そうと、クラブ活動にも入ることにしました。
高校時代については…
(苦い思い出でしたが…)
https://mbp-japan.com/hyogo/banyohkagaku/column/5150368/
交響楽団に入部
さすがに大学ともなれば、いろいろなクラブ活動がありますが、『余暇活動にまで勉強をしたくない』と思いました。随分前ですが、とある学会の懇親会で、『化学のクラブに入っている』という首都圏の学生さんがいました。『それ以外に関心ないのか?』と非常に気持ち悪く思ったことを覚えております。いえ、本来であれば、化学を勉強していて、クラブ活動も『化学』となれば、学生さんの鑑であるはずです。気分転換にクラブ活動をすることは、脳のためのも良いのでしょうが、学生の本文である勉強、更には学問に突っ走ることを否定したのは間違いだったと思います。
それはそうと、元々音楽がやりたかったので、交響楽団に入りました。もちろん、音楽も立派な学問(勉強)ですが、とりわけ私なんぞがやる音楽は立派なお遊びでした。
入部すると、担当楽器を決めるのですが、ピアノ以外経験がなかったので、何でもOKでした。ただ、弦楽器は如何にも『くらしっく!』といった感じで、いずれはポップな曲もやりたかったので、管楽器であるトロンボーンを選びました。
いつまで経っても初心者扱い
ところが、管楽器は既に中学や高校で経験者が多く、最初から不利でした。それでもやることにしたのですが、その結果、後からいろいろと影を落とすことにはなりました。
まぁ、とにかく、頻繁に『初心者』という言葉が飛び交っていました。上達していない者に対しては『あいつは初心者だから…』、上達したらしたで『あいつは初心者だけど…』といった具合でした。
私の場合も例外ではなく、一年経っても、二年経っても『初心者扱い』でした。
交響曲には出れず
通常、演奏会は大きく3曲やることが多く、前座の曲、協奏曲、休憩を挟んで交響曲を演奏することが一般的でした。私のような『初心者』は前座の曲(序曲や小品)ばかりで、ついぞ最後まで交響曲には出演できませんでした。ただ、専門家にも付いてレッスンも受け、二年程やっていると、腕もそこそこになるので、交響曲に出ても問題はなかったと自分では思っておりますが…
最後の演奏会の交響曲はドボルザークの新世界でした。レッスンの先生もOKでした。ところが、同じ楽器のリーダーから反対論が出ました。結論言えば、『初心者は交響曲には出るな!』でした。単なる先輩風を吹かして意地悪をして来ただけだったように思いますが…
もっとも、その後、いろいろな場面で先輩風を吹かしながら問題行動を起こすような方々、たくさん目の前に現れては去って行かれましたので、世の中とはそんなもんだという、序曲だったのかもしれません。
てなことで、曲に罪はないのですが、未だに新世界交響曲を聴く気にはなれません。(笑)
前座がメインになったことも…
その一方で面白いこともありました。
ある時の定期演奏会は二部構成で、前座がカルメン名場面集、メインがシベリウスの交響曲一番でした。上記のリーダーは当然メインを選び、私は前座でした。最初、管弦楽だけのカルメン組曲を予定していたようですが、指揮者の先生の意向により、歌も入れて、名場面集とすることになりました。その結果、カルメン役には関西歌劇団から、ホセ役にも関西二期会からオペラ歌手の先生方にも来てもらうことになりました。
そして、いよいよ演奏会当日です。
会場は超満員でした。
ところが、カルメン名場面集の演奏が終わると、客の大半が帰りました。
メインであるはずの交響曲はガラガラだったようです。
入学式で…
あと、良き思い出として、入学式での演奏がありました。
大学にはそこそこ立派なホールがあって、そこで入学式は行われていました。
当時、学長が福井謙一先生で、まだ日本人でノーベル賞を受賞した方があまりいなかったので、貴重な存在でした。
入学式当日は舞台の背後で演奏できる状態で待機です。
式のメインが終わると、舞台中間の幕が開き、学歌と新入生歓迎曲の演奏となります。
福井先生も舞台の上に残っていたので、言わば福井先生の目の前での演奏でした。
その時の歓迎曲はヨハンシュトラウスの『春の声』で正に入学式にはピッタリでした。ちなみにこの曲は今でも時々聴いております。(笑)
その後、僅か一か月後だったと思いますが、福井先生は退官となりました。直前に学長室へ行って書いてもらった色紙を今でも大切にしております。