2025年の総括/文明・構造(思想)編
生活短観
私は日記を書いている。5年日記というやつだ。
一冊で5年分の日記が書ける。
今年で2冊目、7年目を書いている。
こうなると、今日1/19がどういう日だったか、
過去6年間に渡って大体わかる。
読み返すとその時の状況や想いが蘇る。
なので、忘れてはいない。
頭のどこかにはあるが、引き出すためのカギが大体の場合ない。
こうなると、その記憶は無いも同然。
そして本当に忘却の彼方に消える。
一日に書く量は数行、文字数で100字ほどだから大したことはない。
しかし、これが2200日貯まると相当なものだ。
ただし、始めて1年間はそのような思い返しはほぼできない。
ただひたすら書くしかない。
これは日記に限らず、稽古事などもそうだ。
最初のうちは上達した感じがしない。
毎回、基本動作の繰り返し。
これが本来の姿だ。
農業で大根を作って8年になる。
やっと顧客にも覚えてもらい、
店にも買取りしてもらえるようになった。
地味に嬉しい。
自分軸と時間投資を取り戻す
― 遅延報酬は「未来の快」ではない
承認欲求を、報酬の中心から降ろしたあと、
多くの人が次に戸惑う。
「では、何を基準に生きればいいのか」
ここで多くの人は、
感情や気分を“自分軸”だと勘違いする。
だが、それは違う。
自分軸とは、感情ではなく判断基準
自分軸とは、
・好きか嫌いか
・気分が乗るかどうか
・楽しいかどうか
ではない。
自分軸とは、
「どういう判断をする人間でありたいか」という基準だ。
感情は揺れる。
状況で変わる。
疲れれば、簡単に裏切る。
判断基準だけが、
日常の選択を静かに貫く。
自分軸は、派手に見えない
自分軸という言葉には、
どこか格好良い響きがある。
だが実際は、地味だ。
・今日やるか、やらないか
・逃げるか、向き合うか
・積むか、流すか
誰にも褒められず、
誰にも見えない場所で、
淡々と選び続けること。
それが自分軸だ。
時間投資とは何か
ここで、
時間投資という言葉が出てくる。
時間投資というと、
多くの人はこう誤解する。
・将来のために我慢する
・今を犠牲にする
・いつか報われるはずだと耐える
だが、これは違う。
遅延報酬は「未来の快」ではない
遅延報酬とは、
未来に快が約束されていることではない。
今日の選択が、
時間とともに沈殿し、
形を変えて戻ってくる構造だ。
報われるかどうかを
未来に委ねているうちは、
それはただの期待だ。
時間投資は、
期待ではなく構造である。
「いま・ここ」と時間投資は矛盾しない
ここで、よくある誤解がある。
「いま・ここを大切にする」と
「時間投資」は矛盾する、という誤解だ。
だが実際は、逆だ。
時間投資は、
いま・ここでの判断の積み重ねでしかない。
未来のために今を犠牲にするのではない。
今の判断を、未来に持ち越すだけだ。
時間が「積み上がる」とはどういうことか
時間が積み上がるとは、
・経験が残る
・関係が沈殿する
・失敗が次に使える
・判断が洗練される
ということだ。
評価は消えるが、
判断力は残る。
承認は蒸発するが、
経験は沈殿する。
なぜ多くの人は、時間投資ができないのか
理由は単純だ。
即時報酬が、あまりにも強い。
・すぐ評価される
・すぐ結果が出る
・すぐ安心できる
その代わり、
何も残らない。
時間投資は、
最初は手応えがない。
だから、多くの人は
途中で不安になり、
承認や刺激に戻る。
自分軸と時間投資は、同時にしか取り戻せない
自分軸だけあっても、
時間投資がなければ空回りする。
時間投資だけしても、
判断基準がなければ迷走する。
この二つは、
必ずセットだ。
・判断基準を持ち
・その基準で今日を選び
・時間を積む
これだけでいい。
次へ
自分軸と時間投資を取り戻すと、
多くの人が次に直面する。
虚無だ。
停滞だ。
「これでいいのか」という疑念だ。
次は、
腐らず、投げやりにならず、生き直す。
希望も救いもない地点で、
それでも淡々と積み続ける技術を扱う。
大好きな炭水化物よ、さようなら!



