【激闘第3弾】 〜太陽の下で見えた対話力〜
〜感謝とともに帰る旅〜
【祈りの朝】
バスの座席に身体を預けた瞬間、
『ようやく座れた。。』というため息
そんな小さな幸福にどこか安堵感を覚える。
汗を含んだシャツは体温が下がるにつれて
ひんやりと冷たくなり、
荷物は重い。さらに脚はカチカチに硬い。
それでもココロは不思議と温かい。
100キロを走り切った達成感が、
身体の痛みの上に見えない毛布を
かけられているかのようだった
旅館へ着くと、迷いなく湯へ浸かった。
湯気の立つ浴室で、肌にかけた洗面器の湯が
『いたっ』と声を漏らさせる。
こんなところがやられてる。
マラソンのあとに何度もくり返してきた
儀式のような痛み(笑)
ワセリンは塗ったはずなのに汗で流れ、
短パンの縫い目が擦れてたようで
赤いプツプツが太ももに並ぶ。
けれど、その痛みの奥からは
『最後まで動いてくれて、
ありがとう』という感謝が、
ふっと湧き上がってきた。
風呂を上がり、
打ち上げの会場へ行くために階段を上る。
わずかな段差が山の尾根に見える。
太ももがずっしりと重い。
こんなに手すりが有難いと思うのは
この時以外ない(笑)
でも心は上向き。
20時半、完走できた人も、
できなかった人も、それぞれの激闘史を笑い合う。
走っている最中は孤独、終われば同志。
讃え合い、褒め合い、
互いの物語を受け取り合う時間
整骨院にきた患者の待合室のようだ
というと失礼かな?
テーブルには壱岐の海の幸と壱岐牛のカルビ。
壱岐牛は年間の出荷が限られる希少なご馳走。
脂が舌の上で静かに消える。
その一方で、この夜は大好きなビールが
不思議と進まなかった。
味覚が少し鈍いのか、あるいは身体が
『いまは食を優先してほしい』
と伝えているのか。
地元の日本酒を少しだけ口に含み、
旅館へ戻り早めに横になった。
十分に眠ったはずの翌朝、6時に目が覚めた。
8時、食堂に漂う香りが
『ここまでようやく来た』
という現実をゆっくりと染み込ませる。
勝本の朝市へ出ると、干物の匂い、
島のおばちゃんたちの張りのある声。
身近な生活の音が、旅の終章にふさわしい
昼は毎年の定番『うめしま』さんへ。
網から立ち上る煙が、
壱岐牛の香ばしさをやわらかく運ぶ。
思えば8年前より値は上がった。
それでも、年に一度の
『至福の一皿』は変わらない。
運転手ではないからビールを飲もうと思えば飲めたが、
『いまは味わうときではない』と
また身体が告げてくる。
この判断が、どこか誇らしい。
帰りの港へ向かうころ、
昨日まで強かった風がいくらか弱まっていた。
昨年は波の影響で高速船が欠航し、
急きょフェリーへ振り替えた。
『今年は無事に帰れますように』
という祈りが胸で静かに合掌する。
結果、高速船は動いた。
隣の席は東京から来たというランナー。
もちろん100キロ完走者で、
制限数分前にゴールしたと笑う。
関門ギリギリを楽しむという、
その話に潔さが眩しい。
ふと、口から言葉がこぼれた。
『走ることって、ほんとうに人生そのものですね』
彼は笑って『そう、どんな距離でも
【今日一日】を走るだけなんですよ』と返す。
遠くの水平線を眺めながら交わした短い対話が、
旅の終わりにふさわしく静かに届いた。
博多港に着くと、弟が迎えに来ていた。
ところがその脚は、その日出場した
ソフトボールの試合で
肉離れを起こしているという。
痛む脚で車を走らせる気遣いに、
胸の奥がきゅっとなる。
2週間後に控えていた「下関海響マラソン」
を断念せざるを得ないと聞いたとき、
残念さの先に『よく来てくれた』
という感謝しか残らなかった。
家に帰って、ようやく飲んだ1本の缶ビール。
ぜんぜん生ビールじゃなくてもいい。
泡が舌で弾ける。豪華な食事など要らない。
『帰れたこと、ふつうに食卓を囲めること』が、
何よりのご褒美のような気がした。
50代で初めて走り切った100キロ。
11年前の初完走より、もう若くはない。
16年前のフルマラソンより確かに歳は重ねた。
練習量は半分以下になっても、
ここ数年は『きつさ』が人生の主役ではなくなった。
仮にきつくても、
そのことを楽しみながら前へ進めている。
もうタイムを追いかける時代は、
そっと幕を引いた。どれくらいのタイムで走ろうと
ゴールすれば賞賛されていいんだ。
『走り切れたら、それでいい』という価値観が、
長いロードを走ることを許された気がする
そのうってつけは100キロの醍醐味だと思ってる
誰かに褒められるためではなく、
『ここまで来た自分』を静かに褒める。
すると、走りはまた続いていく。
心は次の風を探している。
長崎の壱岐の風か、
はたまた島根県の隠岐の風か、
いや見当もつかない別の島の風か。
『また来年、どこかで走ろう』
と思える自分に、いちばんの
【ありがとう】を贈りたい。
【余韻】
走り終えた身体は、ゆっくりと静まっていく。
けれど、走り続ける心は、今日も微かに脈打つ。
壱岐で受け取った声と風、
そして見知らぬ誰かと交わした短い対話。
ひのきの香りは形を見せないが、空気を整える。
人の祈りもまた、姿は見えないまま、
世界の輪郭を柔らかく変えていく。
走ることは祈ること。
祈ることは、生きること。
だから今日も、『今日一日』を
丁寧に走るだけでいい。
【終章の挨拶】
5話にわたる奮闘記を最後まで読んでくださり、
心より感謝申し上げます。
わがままな話も多かったかもしれませんが、
どの一節にも、
壱岐の風と人の温度を乗せました。
いつか、あなたの一日にも
静かな追い風が吹きますように。



