孫たちのタイピングを見て思う事。
かつて作文を白紙で出していた私が、いま国語の大切さを語るなんて思いもしませんでした。
ICT支援員として小中学校の現場に立ち、子どもたちの学びを支える中で、ようやく気づきました。
「言葉こそが、すべての学びと人生の土台だった」と。
学生時代、私は国語が苦手でした。特に作文が大の苦手で、何を書いてよいかわからず、白紙で提出したことも一度や二度ではありません。読書感想文も悩みの種。自分の気持ちをどう表現すればいいのか分からず、言葉に対して「難しいもの」「自分には向いていないもの」と思い込んでいました。
それから長い年月が経ち、私は今、ICT支援員として小中学校の教育現場をサポートする仕事をしています。子どもたちがパソコンやタブレットを使って学ぶ授業で、操作だけでなく「考えたことを言葉にする」サポートも行っています。
そんな中で、私は言葉の力の大切さを改めて実感しました。
ICTはあくまで「道具」であり、それを活かすために必要なのは、「何を考え、どう伝えるか」という言葉の力だったのです。
■ 国語はすべての学びのベース
国語で養う「読む力」「書く力」「話す力」「聞く力」は、他の教科や生活のあらゆる場面で必要になります。たとえば、算数の文章問題も、理科の実験レポートも、社会の資料読み取りも、根底にあるのは「国語力」です。
つまり、国語は“教科”というよりも、すべての学びを支える基礎体力のようなものだと私は感じるようになりました。
■ 社会に出てからも求められる「言葉の力」
国語力は大人になってからこそ真価を発揮します。
接客、プレゼン、会議、商談、メール、報告書作成など、すべてが「伝える力」に関わっています。
私はこれまで、飲食店の店長や家電販売員としても働いてきましたが、
「伝え方ひとつで相手の心は動く」
「言葉が信用や信頼を生む」
という場面を幾度となく経験してきました。
■ 60歳を過ぎて、初めて国語に興味が湧いた
ICT支援員として教育現場に関わる中で、私は60歳を過ぎて初めて国語に興味が湧きました。
あれほど苦手だった文章も、今では少しずつ書けるようになり、自分の思いや経験をこうして文章にまとめることもできるようになりました。
人は、いくつになっても変われる。
そして、言葉を学び直すことで、自分の考えを見つけ直すことができるのです。
■ これからの子どもたちへ伝えたいこと
国語は「テストの点数」のためにあるのではありません。
それは、**自分を知り、人とつながり、未来をつくるための“生きる力”**です。
だからこそ、子どもたちには「国語の力」を、そして「言葉の力」を育ててほしい。
ICT教育の現場から、私はこれからもそのメッセージを伝え続けたいと思っています。
ICT教育支援コンサルタントとして活動しながら、教育・ビジネス両面で「伝える力」「考える力」の重要性を発信中。
苦手だった国語に、60歳を過ぎて目覚めた私だからこそ伝えられることがある。
これからも“学び直し”を応援していきます。



