第7回 家庭と学校をつなぐデジタル活用 ― 保護者の理解と協力を得るには
最近、自分の読解力のなさにゲンナリすることが増えた。文章を読んでいるつもりなのに、いざ要点をまとめようとすると「あれ?結局何が言いたいんだ?」と迷子になる。もう一度読み直してみても、結局スッと理解できず、モヤモヤしたままページを閉じる。こんなことが増えてきて、正直、自分にガッカリする。
昔はもっとスムーズに読めていた気がする。特に仕事で資料を読むときや、新しい知識を学ぶときには、読解力が不可欠だ。なのに、最近は集中力も続かず、文章の意図を読み取るのに無駄に時間がかかる。情報が溢れる時代に生きているのに、それを正しく受け取れないなんて、もったいない話だ。
そんなことを考えていると、ふと孫たちのことが頭をよぎった。
さてさて、そうすると孫たちの学びも気になってきた。なにか本でも買ってやろうか、それとも他になにか良いものがないのか悩む。子どもたちはこれからもっと情報社会の荒波に揉まれることになる。彼らが「読める」「考えられる」力を身につけられるように、じいちゃんとして何かしてやれることはないだろうか。
そもそも、読解力とは何なのか?ただ文字を目で追うだけでは意味がない。それを理解し、自分の考えに落とし込み、言葉にできるかどうか。読解力とは、ただのスキルではなく、人生をより豊かにするための基盤なのかもしれない。孫たちだけでなく、自分自身も、もっと読める大人になりたいと思う。
考えてみれば、読解力は一朝一夕で身につくものではない。積み重ねが大事だ。もしかしたら、最近の自分の読解力の低下は、情報をただ流し読みするクセがついてしまったからかもしれない。スマホで記事をザッピングするだけでは、本当の意味で「読む」ことにはならないのだろう。たまにはじっくりと本を開き、筆者の言葉と対話する時間を持たなければ。
孫たちに本を買ってあげる前に、自分自身ももう一度「読む」ことを見つめ直したい。焦らず、一つ一つの文章をしっかりと理解すること。そうすれば、もう少しマシな読解力が戻ってくるかもしれない。そして、孫たちにも「読めることの楽しさ」を伝えられるじいちゃんになれたら、それこそ本当の意味での学びのサポートになるのかもしれない。



