AIを使う前に立ち止まる問い〜「聞く前に、考えてみる」学びへ〜
「正解を早く出せる子が優秀」——そんな評価の感覚は、長く学校の中にありました。
皆様が学校に通われていたときも、質問に真っ先に手を挙げてすらすら答える子が評価されていた記憶があるのではないかと思います。
ですが、AIが普及した今、正解を出すこと自体は、以前ほど価値の中心ではなくなっていくことになるでしょう。
なぜなら、調べれば答えは出るからです。
検索エンジンでも同じことは言えますが、AIに聞けば「それっぽい答え」「もっともらしい文章」がすぐに手に入ることを大勢の人がわかってきています。
(ですので、AIに聞いたそのまんまをコピペしているな、というのはなんとなく感覚でわかる、という人も増えています)
では、学校は何を評価すべきなのでしょうか。私は、これからの評価の軸は「答え」そのものから「思考の過程」になっていくのだろうと思っています。
たとえば同じ結論にたどり着いたとしても、そこに至る道筋は子どもによって違います。
・どんな情報を集めたのか
・複数の意見を比べたのか
・迷った点はどこで、どう乗り越えたのか
・自分の考えが途中で変わったのか
こうした「考えた跡」こそが、その子の学びそのものです。
ただ、これまでの学校の環境で、教員一人が40人の子どもの細かな思考の過程をたどる、ということはほとんど不可能でした。物理的に時間が足りなかったのです。
ですが、ICTの登場で、学校現場でも、少しずつ変化が起きています。
最初の下書き、調べた履歴、途中のメモ、友達からもらったコメント、書き直しの記録。
これらを全て取っておいて、教員が参照できるようになりました。つまり、ICTの活用によって、結果だけでなく「プロセス」も見える化されるようになったということなのです。
先生は完成品だけを見て評価するのではなく、「どこでつまずき、どう工夫したか」を一緒に見取りやすくなっています。
(あくまで「やりやすい」です。今まで無理だったものが、頑張ればわかるようになった状態、とお考え下さい)
この評価の観点は、子どもにとっても大きな意味があります。正誤を問うテストで点数が取れなかった子でも、「筋道立てて考えた」「根拠を探せた」「一度立ち止まって疑えた」ことが認められるようになります。すると、挑戦が怖くなくなるのです。
間違うことは恥ずかしい、と間違いを隠すより、「どう考えたか」を言葉にすることが価値になります。
AI時代に求められるのは、答えを持っていることではなく、答えにたどり着く力です。
答えを疑い、確かめ、別の視点を探し、最後に自分で選ぶ。そこには、人間にしか担えない判断と責任があります。
「正解を出すこと」だけがゴールではないのです。
「考えた過程」を学びとして評価することが重要になります。もちろん、考えた結果「大量虐殺は正義である」という結論にたどり着いたとして、それが子どもたちにとって何を意味するのか、大人が一緒に考える必要が出てきます。(この話は長く難しくなるのでまた別途させてください。AI時代だからこそ倫理観が必要である、という議論が今急激に高まっています)
考えた過程を評価するということは、学校を甘くする話ではありません。むしろ、子どもたちにとって、より本質的で、より厳しい学びの始まりなのだと思います。
ハイパーブレインでは、これらのお話をPTA研修等でわかりやすく説明させていただくことができます。
お気軽にお問い合わせください。



