SNSの闇から子どもを救う・あるいは守る
子どもたちが1人1台タブレットを持つようになって約5年が経ちました。
みなさまのご家庭では、タブレットを持ち帰っていますか?
タブレットをのぞいてみたら
こういう話をよく聞きます。子どもたちが持ち帰ったタブレットを熱心に触っているので覗いてみたら。「YouTubeを見ていた」「夜遅くまでゲームをしていた」——そんな話を聞くと、「もう使わせたくない!」と思ってしまうのも当然です。
教育委員会には「なぜYouTubeを見せるんだ! 全面的に禁止しろ(要約)」という電話がひっきりなし、という時期もありました。
居丈高に感情的に「ヤメロ!」というのも困る電話ですが、深刻な電話もあります。
「子どもとよく話し合い、『タブレットは学習のために借りているのだから、YouTubeばかり見るのはやめよう』『時間を守って使おう』と約束しても、目の前に誘惑があると勝てない。お友達はいくらでも見ていいのに自分だけ時間を守る、ということについてうまく納得させられない。家庭では万策尽きた。なんとかしてもらえないか」
今目の前の課題をすぐに解決したいのはやまやまですが、すぐに解決できるなら、家庭で万策尽き果てません。
では、どうしたらいいのでしょうか。
デジタル・シティズンシップ
「ダメ!」と止めることよりも、「どう使うのか?」を子どもと一緒に考える力。それが「デジタル・シティズンシップ」に基づく考え方です。
デジタル・シティズンシップとは、「インターネットやICTを使って社会に参加し、責任ある行動をとる力」のこと。たとえば「相手の気持ちを考えて投稿する」「個人情報は大切にする」「ネット上でも人を傷つけない」など、現実の社会と同じように、思いやりとマナーが必要になります。
そんなことわかってるよ、と思われるでしょう。そうです。デジタルの世界でも現実の世界でも、これから考えられるその二つがより融合したとても広い世界でも、胸を張って生きていけるように生活することができるような力を身につけられればいいのです。
ですが、これは1言ったら1できる、というものではありません。玄関で靴を脱ぎ散らかす子どもに、1回言ってその後完璧! を求めるのが無理だということはご理解いただけるでしょう。
ですから、ご家庭では
- 「今日はどんなことを調べたの?」と会話する
- 一緒に動画やアプリを見て、感じたことを共有する
- SNSでの言葉の使い方を一緒に考える
といった日々の積み重ねが大切になってきます。
YouTubeを見続けるとどういうことが起きるのか、
私が小6の教室でお聞きした言葉は圧巻でした。
「みんな、そんなYouTubeをただ見てるだけ、ってどうなの?」
「確かに! 見てるだけだと単なる情報の消費者だけど、自分がこの動画を見てどう思ったかとか、そういうことを共有して、自分も伝えたいことをどう伝えたらいいかわかるようになりたい」
担任の先生がデジタル・シティズンシップの実践を始めて2年で、この子どもたちは「単に見るだけ」と「自分事としてとらえて見る、活用する」が違うということを知っているわけです。
それは、毎日の地道な声掛けが実を結んだ成果なのだと考えます。
ちょっとしたトラブルが起きたときに、そばに寄り添い、どうしたらいいかを一緒に考える、ということをご家庭で実践すれば、「自分の頭で考え、判断できる子」が育っていきます。
おじいちゃん・おばあちゃん世代にとっても、これは“新しいしつけ”のかたちといえます。
ICT機器に詳しくなくても、「人に優しく」「ルールを守る」という普遍的な価値観は、むしろ経験豊かな皆さんの出番です。
これからの教育は、「情報を与える」だけでなく、「人としてどう使うか」を共に育てることが求められています。子どもと一緒に、デジタルの世界でも「よき市民」を目指していきませんか?



