「ダメ」より先に「どう使う?」子どもたちと一緒に学ぶこれからの社会を生きる力
SNSに潜む闇……心ざわつく言葉です。少し前まで「インターネットに潜む闇」でした。
闇という表現について
闇、と辞書を引くと、おおよそ「真っ暗」「くらい」「光のない」というような言葉が並びます。
人間は基本的に暗いところが怖いですね。真っ暗な場所を手探りで進むときは、段差がないか、とか、何かがばっと出てこないか、とか怖くて足が震えます。
21世紀初頭は「インターネットに潜む闇」とよく言われていました。インターネットとかいう、今までになかった、なんだかよくわからないところを手探りで進んでいかなければならないので、ちょっと違うことするとそこかしこに闇が潜んでいるように感じたものです。
それが最近は「SNSに潜む闇」ですね。大人が連絡手段にLINEのトークだけ使ったり、YouTubeで動画を見たりする部分以外の、ちょっと違うことをするとそこかしこに闇が潜んでいるように感じます。
いつの時代も隅から隅まで明るく照らされている、なんてことはないわけです。必ず闇が出てきます。
そして、その闇は、「自分が(大人が)知らないから闇」とも言い換えることができるでしょう。
SNSは恐い
この考えはある意味正しいと思います。自動車も恐いし包丁も恐いです。野球も恐いといえるでしょう(ちなみに野球が日本に入ってきた当時は、野蛮だ、そんなものに夢中になるなんて頭が悪くなる、同じ動作しかしないから運動ができなくなるなど散々言われていたそうです)
どんなものごとにもリスクはあり、恐いところがあります。それを正しく恐れ、慎重に使いこなせば、とても便利なものになりますね。便利だから、楽しいから、必要だから、発明されたものやことの端から端まで何もかもわかります! なんて人はあまり存在しません。
自動車のハンドルを回すとなぜ車は曲がるのか、ということについて詳しく説明できなくても、とにかく止まる時にはブレーキを踏むし、避ける時にはハンドルを思いきり切る、ということを知っていれば、危険をかなり回避できそうです。
ですので、子どもたちを「SNSの闇から救う・守る」ためには、周囲の大人がある程度のことをわかっておきさえすれば十分である、ということですね。
SNSの闇から子どもを守るのは学校の役目?
学校には先生という子どもたちの教育に責任を持っている大人がいます。例えば、授業でSNSを使うときには、子どもたちを先生が守る必要があるでしょう。
ですが、家ではどうですか。
それは、保護者が守る必要があるのではないでしょうか。
そういうと、「じゃあ道の上ならどうなんだ」というようなことを聞かれますが、大切な大切なご自分のお子さんを守るのは基本的に保護者ではないでしょうか。
学校にいると、先生がなんでもやってくれるので大変ありがたく様々なことをお願いしていますが、SNSを使える状態にするには、保護者の同意が必要なはずです。
アカウントを作るにはメールアドレスが必要です。メールアドレスを与えたのはスマホやパソコンを買った時の保護者です。
そこから起こりうるであろうことを考え、子どもと一緒にSNSを学んでいく、という保護者なら安心です。
わからないものは学ばなければなりません。詳しいことはわからなくても、メアドさえあればSNSのアカウントを作ることができ、様々な情報を手に入れられる、つながることができる、ということはわかっておく必要がありますね。
SNSでは見るだけではなく簡単に自分から発信することができます。それも体験しておいた方がいいと思います。
きれいに撮れた花の写真をSNSにアップした時に"いいね"がいっぱいつくと嬉しい、というようなことは経験しないとわからないものです。
そこから派生する様々な感情、そして、環境については、「なんか知らない世界の出来事」と呼ぶには、難しい社会になっています。
子どもたちは否応なしにテキストでコミュニケーションし、知らない人と簡単に1対1のやり取りができるSNSの世界を生きていく必要があるのです。
どういうものかな、と知ろうとすることは大切です。
保護者として、ただただ「触っちゃダメ」「使っちゃダメ」が通じないのは皆様よくご存じのことだと思います。
こちらの動画が参考になるのではと思って紹介します。ご参考になさってください。ハイパーブレインは、この動画で紹介されている「デジタル・シティズンシップ」という考えをもとに、学校、先生方をご支援しています。
https://www.steam-library.go.jp/content/132



