親の役割とは何だろう?
こんにちは!
中西紀説(なかにしのりつぐ)と申します。どうぞ「のんちゃん」と呼んで下さい!
私は山梨県南アルプス市で不登校児の居場所として体験型フリースクール「みんなのおうち」を運営しています。
私自身、中学生の時に不登校を経験しました。その時に負った劣等感・無能感・自己否定感がトラウマとなって40歳まで苦しみ続けました。一時は引きこもりとなり、自殺未遂を図ったこともあります。父親となってからは我が子も不登校となりました。フリースクールを始めてからは沢山の子ども達と関わってきました。
そんな人生を通して得た大切な気付きや想いを綴ります。
不登校を経たからこそ辿り着ける境地がある
上述の通り、私自身かつて不登校を経験しました。そして、父親となってからも3人の息子達はそれぞれ不登校になった時期がありました。それではその経験はマイナスなことだったのか?不登校は不幸な出来事だったのか?決してそんなことはありません。むしろ、その経験があったからこそ今があるのだと感謝しているくらいです。不登校を経たからこそ辿り着ける境地があるのです。今日はその辺りのことについて綴りたいと思います。
子どもが不登校になると、家庭に激震が走ります。「まさかうちの子が。。。」という思いで、どうしていいか分からずパニックになってしまうものです。不登校に対する考え方の相違から夫婦間もギクシャクし始め、喧嘩が絶えなくなってきて家庭崩壊寸前まで追い詰められてしまうケースも少なくありません。我が家も全くその通りでした。まさに修羅場と言えるような場面もありました。そのような経験を通して、夫婦間も親子間も本気で向き合わざるを得なくなってくるのです。そして「幸せな人生とは何か?」を徹底的に考えさせられます。親として我が子に対する理想や期待もあった。自分が育ってきた中で植え付けられた固定観念や執着もある。夫婦だって全く異なる家庭環境で育ってきた他人同士なのだから価値観の相違だって当然ある。
そのような理想や固定観念、執着といったエゴを一切手放し、「この子の幸せな人生とは何か?」を考えさせられる機会が与えられるのです。
今思えば、これは本当に幸運なことでした。我が子の不登校がなければ、こんなにも夫婦間や親子間で向き合うことは無かったでしょうし、幸せな人生とは何かについて考えることも無かったでしょう。私は我が子の不登校を通じてある大切なことに気付かせてもらいました。それは、世間一般的に良いと言われているレール(なるべく偏差値の高い学校に行って、大学を出て、大企業に就職し、なるべく高いお給料をもらうこと)に乗ることと、幸せは全く別物であるということです。これは大きな発見でした。まさに不登校を経たからこそ辿り着けた境地だったのです。もし、我が子が不登校になっていなければ、ここに気付くこともなく自分の理想や期待を押し付ける子育てをしてしまっていたかもしれません。
幸せとは、みんなと同じレールに乗ることではなく、自己決定できること。
そのことに気付けると、子どもを信じられるようになります。それまでは子どもを導き、指示するばかりの先導者だったのが、子どもの伴走者になれるのです。「何を選ぶかは自分で決めていいんだよ。私は親として君の一番近くにいて、君の選択を全力で応援しているから。」そのスタンスが子どもの自信となり、親子関係・夫婦関係を劇的に改善してくれたのです。
私達家族も大変なところを通ってきました。全く出口の見えない暗闇の中を手探りで進むような日々が何年も続きました。思い出したくもないような出来事も沢山ありました。しかし、それらの日々が糧となり、家族の絆は深まって、3人の息子達は今、元気にそれぞれの人生を歩んでいます。あんなに大変だった次男も高校2年生になりました。彼が活き活きと楽しそうに過ごしている姿を見ているとそれだけで胸が熱くなってきます。彼が渦中にいた時。人生に絶望していた小学校高学年の頃。私はよくこう言ってました。「止まない雨はないし、明けない夜もない。人生にはひたすら耐えなければならない時期もある。でも、そこを通った人にしか見えない景色があるんだよ。」長い間苦しみ続けた分、彼には雨上がりの朝陽が人一倍美しく見えていることでしょう。
不登校は決して不幸な出来事でありません。何か大切なことに気付かせてもらうためのサインなのです。そのことに気付けた時、きっと全てに感謝出来る日が来ることでしょう。
本当の幸運とは、不幸の姿をしてやって来る。
不登校の渦中にいて全く出口の見えない絶望の日々を過ごされてる方にとって、今日のコラムが少しでも何かのお役に立てれば本望です。
本日も最後までお読み頂き有難うございました。
もし、お子さんの不登校などでお悩みでしたらご連絡下さい。
私でよろしければ真摯に対応させて頂きます。