フリースクール運営の要諦
こんにちは!
中西紀説(なかにしのりつぐ)と申します。どうぞ「のんちゃん」と呼んで下さい!
私は山梨県南アルプス市で不登校児の居場所として体験型フリースクール「みんなのおうち」を運営しています。
私自身、中学生の時に不登校を経験しました。その時に負った劣等感・無能感・自己否定感がトラウマとなって40歳まで苦しみ続けました。一時は引きこもりとなり、自殺未遂を図ったこともあります。父親となってからは我が子も不登校となりました。フリースクールを始めてからは沢山の子ども達と関わってきました。
そんな人生を通して得た大切な気付きや想いを綴ります。
フリースクールとはどのような場所なのか?
皆さんはフリースクールとはどのような場所かご存知ですか?
なかなか当事者でなければ縁が無い場所である故、その実態をご存知でない方も少なくないでしょう。そこで今日は、フリースクールとはどのような場所であるかを綴りたいと思います。とは言え、フリースクールに関する明確な設置基準や許認可などは存在していません。誰でもいつでも何の届け出もせずにフリースクールを開所できるのが現状です。よって、一言でフリースクールと言ってもその趣旨や目的は千差万別。運営者の考え方次第なのです。そのような事情でフリースクールがどのような場所であるかを一括りにすることは出来ませんから、私が運営する「みんなのおうち」をベースとさせて頂きますね。
まず、日本でフリースクールと言えば、不登校の子が学校の代わりに通う場所というのが共通理解となっています。ちなみに海外では不登校の子に限定されておらず(そもそも不登校という概念がない)、公教育と並列した教育施設として認知されています。子どもが自分に合った学びの場を選択できるようになっているのですね。日本も早くそうなってほしいと切に願っています。
それでは、フリースクールとはどのような場所であるかを「みんなのおうち」をベースに説明していきます。
①あるがままの自分でいられる場所
今の日本で「あるがままの自分でいられる場所」ってどこがあるでしょう?家庭と幼稚園(保育所)ぐらいではないでしょうか?そんな中、フリースクールはあるがままの自分でいられる貴重な場所なのです。あるがままの自分でいられるとは、自分の感情をそのまま出していいということ。どんな自分であってもそれを受け入れてくれる友達と大人がいる場所。あるがままの自分を出せているから、あるがままの相手を受け入れることが出来るのです。すると、まるで大家族のような関係が成立するようになります。そこには忖度も同調圧力も存在していません。
②強制されない場所
フリースクールでは強制されることがありません。タイムスケジュールはあっても、それに参加するかは本人の意思次第。基本的に無理強いされることはないのです。言い換えるならば自由ということ。自分で考え、自分で決めることが尊重される場なのです。強制することが悪いと言うつもりはありません。ただ、強制されることに慣れてしまうと思考停止になってしまいます。自分で決められなくなるのです。思考停止になると受動的な人生になってしまう。答えは自分の外にはありません。それはいつでも自分の中にある。だから敢えてこのような環境にしているのです。ちなみに、強制されない子がどのように育つかは以前のコラムをご参照下さい。
子どもに自由を与えるとどうなるのか?
③自治で成り立つ場所
フリースクールは子ども達の自治で成り立っている場所です。ピラミッド型ではなくフラット型。何かを決める際やトラブルなどの問題が生じた際には、子ども達のミーティングで解決を図ります。大人も含め、そこには上下関係がありません。先生対生徒でもなければ、大人対子どもでもない。あるのは人間対人間というフラットな関係。その関係の中で、お互いに言いたい事を言いながら話し合いを通じて相互理解を深めていく。まさに「みんな違ってみんないい!」が成立している場所なのです。
以上、特徴的な3つを挙げてみました。総じて言うと、フリースクールとは子どもど真ん中な場所です。子どもに主体を預け、子どもの意思が尊重される場所なのです。子どもの心が育つ場所だとも言えるでしょう。本日の記事を通して、当事者以外の方にもフリースクールの実態を知って頂けたら幸いです。
本日も最後までお読み頂き有難うございました。
もし、お子さんの不登校などでお悩みでしたらご連絡下さい。
私でよろしければ真摯に対応させて頂きます。