親の役割とは何だろう?
こんにちは!
中西紀説(なかにしのりつぐ)と申します。どうぞ「のんちゃん」と呼んで下さい!
私は山梨県南アルプス市で不登校児の居場所として体験型フリースクール「みんなのおうち」を運営しています。
私自身、中学生の時に不登校を経験しました。その時に負った劣等感・無能感・自己否定感がトラウマとなって40歳まで苦しみ続けました。一時は引きこもりとなり、自殺未遂を図ったこともあります。父親となってからは我が子も不登校となりました。フリースクールを始めてからは沢山の子ども達と関わってきました。
そんな人生を通して得た大切な気付きや想いを綴ります。
次男から努力の意味を教わりました。
今日は次男から教わった大切な気付きについて綴りたいと思います。
私の次男はこの春高校2年生になりました。以前にも書いたことがありますが、彼は小学校2年の途中から不登校になり、それが長期化。高学年になる頃には学校に行けない自分を責め、自己否定感に苦しみ、「なんで俺を生んだんだ!」「もう死にたい!」「殺してくれ!」と荒れるようになってしまいました。フリースクールや放デイも試したのですが、どこにも馴染むことが出来ず荒れ果てる日々。笑顔がすっかり消えてしまった彼の様子があまりにも可哀想で、新たな環境でゼロからリセットすべく私達家族は福岡から山梨へと移住してきたのです。とは言え、山梨に来てからも彼の苦悩は続きました。状況は好転することなく時間ばかりが過ぎていたのです。
そんな彼にとって転機となったのが高校入学でした。沢山の友達が出来て、ようやく自分の居場所を見つけた彼はまるで水を得た魚のように生き生きと過ごせるようになったのです。ここまで来るのに実に7年の歳月を要しました。ようやく彼本来の笑顔が戻ってきたのです。高校ではサッカー部に所属し、生徒会活動にも立候補。さらにキックボクシングのジムに通い始め、今月の19日にはデビュー戦となるアマチュアの大会が控えています。最近はほぼ毎日ジムに通っていて、帰宅は夜10時を過ぎることもあります。試合に向けて減量をしながら、翌朝は5時半に自分で起床して学校に通う日々。傍から見ていると「大丈夫かな?」「無理してないかな?」と思ってしまうほど頑張っている彼にある日聞きました。
「そんなに頑張って大丈夫?」「身体がキツくない?」すると返ってきた答えは「楽しいから全然大丈夫だよ!」という言葉でした。その時の彼の言葉と表情から私は悟ったのです。彼には努力しているという意識はない。夢中になっているのだ!その瞬間、努力という言葉の本当の意味が分かった気がしました。努力というのは夢中になる、没頭することなんですね。他者から見ていると大変な努力に見えても、本人にその意識はない。ただ楽しくて夢中になっているだけ。これこそが努力の意味なんだと実感させられた瞬間でした。
次男のデビュー戦となる試合の日が近づいています。当日はもちろん観戦するつもりですし、出来れば勝ってほしい。彼の努力が報われてほしいという思いがありますが、大事なのは結果よりも過程です。彼がこうして夢中になって取り組んだ時間は必ず後の人生に生きてくることでしょう。その意味で、彼はもう勝利以上のものを手にしていると思います。そして何と言っても、あれだけ長い間苦しみ続けた彼が生き生きとした表情で人生にチャレンジしている姿を父親として心から嬉しく思います。明けない夜はないし、止まない雨もない。時間はかかるかもしれないけれど、子どもはいつかきっと自らの足で立ち上がる日が来る。次男の姿を通して、私はそう信じています。
本日も最後までお読み頂き有難うございました。
もし、お子さんの不登校などでお悩みでしたらご連絡下さい。
私でよろしければ真摯に対応させて頂きます。