長年の現場経験から一言 遺品整理にまつわるお話しをいろいろ
昨年、晩秋の頃に頂いたご相談でした・・・
「父親が末期癌です!」
「今入院中ですがこれが最後、もう病院から戻れないと言われてます・・・」
「父が一人で暮らしていたアパートの生前整理を願えないでしょうか?」
見るからにお若い20歳過ぎくらいの娘さんからのご相談でした。
「お父さんは何歳なの?」
「62歳・・・くらいと思います・・・」
いまいち状況が把握できないので失礼とは思いましたが、処事情をお尋ねしましたところ、ご両親はご依頼者様が小学生の頃に離婚しお母様と他県へ、その後、お父さんだけが県内で一人暮らしをしていたようです。成人になるまで母と暮らしてましたが、結婚を機に母を残して一人地元に戻って生活していたとの事でした。
それが一週間程前のことです・・・
ご依頼者様が家から出てすぐの道端で偶然にも父親と十数年振りの再会。その際、しばし互いに見つめ合いながら確認されたそうです。
「話があるから・・・」と、父に呼び止められ、すぐそばの父のアパートへ。両親が離婚をしてから初めての対面だったため、暫くは言葉も出ないようでしたが、痩せ細った父の顔を見ながら感じるものがあったようです。
父から「俺は末期癌だ、あど一ヶ月ももだね・・・、死後の後始末頼まんねが?」
癌で一ヶ月も生きられないという父からの死後のアパート整理のお願いでした。
テレビドラマや映画にありそうなスト-リーですが、まずビックリしたのが道路数本挟んでご依頼者の嫁ぎ先があるという事、直線距離にして数百メートルの所に父が住んでいたという事です。
気には掛けておりましたが数年間一度も会う事も無く、ただただそれに驚いたようでしたが、話を聞いてみれば近年は入退院を繰り返していたため、アパートで生活する日も少なかったようで近所に住んでいたといっても娘さんと遭遇する機会が無かったようです。
見積り当日、室内にはご依頼者である娘さんと旦那さん、そしてご依頼者の母親(元妻)も県外から駆けつけてくれました。3名の立ち会いのもと二部屋、台所、浴室にトイレ。どこにでもありそうな室内ですが、ご本人も断捨離とは行きませんが、それなりに整理されている形跡がありました。ただ好きだったゴルフクラブは最後まで手放すことができなかったのでしょう。生活用品以外なにもない室内で数セットのゴルフクラブだけが目に付きます。
「もう病院から帰って来ることも無いので・・・、月を越すとアパート代やらいろいろとお金も掛かるので、すぐに全処分でお願い出来ないでしょうか?」
生活を共にしない親子、元妻は他人としても娘さんは間違いなく実子です。茶箪笥の上には娘さんが幼い頃の家族写真が飾られていました。
元奥さんも室内を見てはおりましたが、感傷に浸る訳でもなく全くの他人事のように見受けられました。今回も娘さんを心配して立ち会いに同行されたようです。
「亡くなったらすぐに海洋散骨もお願い致します」
本人が病院で頑張っている中で、矢継ぎ早に葬式の相談、その後のご遺体の安置をどうする?さらには直葬や海洋散骨まで・・・、見積りの最中にそのような話がどんどん進んでいきます。
用件は全て理解しましたがこういう状況で、事の準備、当たり前と言えばそれまでとは思いますが、お話しの内容があまりにも事務的に思え、感情のない会話にさすがの私も、顔にこそ出しませんがグッとこらえながらお話しをさせて頂きました。
「お父さんは今、病院で頑張っております」
「この様な事はあまり段取り良いのも考え物です。一時でも元気になれば住み慣れた自宅に戻りたいものです。年末にかけて退院という事も十分に考えられます。」
「お金のことをご心配されているのは十分理解できますが、私共も精一杯努力致しますので、今しばらくはこのままにしておくのが最善と考えますがいかがでしょう?」
「お父さんが自宅に戻りたくても戻る場所が無いと知ったら、こんな辛いことありません。もう少し待ってあげて下さい!」
「病院から戻ってきたら一言、後のことは心配しないで!それでお父さんは安心なのではないでしょうか?」
そのようなお話しをさせて頂き、この日は引き上げる事となりました。
ご依頼人の要望にそぐわず、また余計なことを言ってしまいました。
これで仕事を断られたら仕方ないなぁ~。車中で反省しながらの帰社となりました。
その日から一ヶ月も経たない頃にご依頼者様から電話がありました。
「お父さんが元気になり先日退院して今アパートです。いろいろとありがとうございました」
娘さんからのお父さん一時退院の報告がありました。やはり親子です。住み慣れたアパートに戻ってきた父、娘としての最後の孝行でしょうか、電話口での感謝の言葉にも本心から安堵した感じが聞き取れます。
それから二ヶ月ほど経ったでしょうか、新しい年を迎えたばかりの朝の電話で、
「お父さんが今朝、亡くなりました」
「年末から容態が急変して入院しておりましたが、今日亡くなりました。いろいろとお世話になりありがとうございました」
か細い声ながらもしっかりとした口調で
「今一度ご相談にのってもらえないでしょうか?」
年末に掛けて最後の入院、娘さんに看取られてお父さんは天国へ旅立ったそうです。
これはこれで良かったのではと自分に言い聞かせながら電話口でお話しをさせて頂きました。
行政への手続き、セレモニーへの対応、火葬までの段取りやらと・・・と、やらなければならない事を説明させて頂きました。
全ての祭事を終えた頃、本年最初の遺品整理作業となりました。
娘さん立ち会いのもと一日で全ての作業を終えましたが「人生いろいろ、夫婦、親子ってなんだろう?」
本当にいろいろな夫婦、親子関係があります。どれが一番か誰にも分かるものでもございません。
この数ヶ月、その一瞬を、当事者同士がどう想ったか、どう感じたのかが大事なのではないでしょうか。
後で分かった事ですが、故人は地元の農家の長男で実家もあり菩提寺も先祖のお墓もあるとの事、長らく空き家状態で集落との付き合いも無く、固定資産税やらお寺の会費やらが放置されたまま・・・
娘さんは全て相続放棄をするとのこと、親戚を頼り納骨は許可されたとのことではありますが、墓守も居ないところでの納骨となります。
今回いろいろとアドバイスさせて頂きましたが、最後に、時々はお墓参りをしてあげて下さい。 合掌!
※遺品整理後のアパートの写真は・・・こちら
新年初の海洋代理散骨 納骨堂に十数年 母の海洋散骨
他県で暮らす方からの代理散骨のご依頼です。
亡き母のお骨を長年に渡り近くのお寺さんに預け供養しておりました。いつかは墓所を求めお墓の建造も考えていたようですが、ご自身も高齢になられ終活や今後のことを考え海洋散骨の依頼をとなったようです。
年明けに送って頂いたお骨はすでに粉骨加工されており真四角のご位牌に収めてあります。
初めて目にするご位牌でしたが都会のお寺さんも狭い空間に多くのお骨をお預かるとすれば骨箱や骨壺では場所を取り大変でしょう、よく考えたものでご位牌自体が骨壺でした。
日本海の冬の海、遊漁船も滅多に出港出来ない今時期に少しの不安はありましたがお預かりして三日目、天気予報では午後から少しは落ち着きそうな予報です。風6メートル、波1,5メートル。
お客様の乗船では絶対無理な状況でしたが、今回は代理散骨での御依頼でしたので午後三時、スタッフのみで酒田港を出港。散骨ポイントまでゆっくりと航行します。
本日の鳥海山は雲に隠れており、太陽も雲間より出たり隠れたり、船の周りも一瞬明るくなったり暗くなったり、そんな天候を繰り返しているうちにポイントに到着です。周りを見渡しても僚船は一隻も見当たりません。
揺れるアフトデッキに祭壇を造り、静かにスタッフ皆で合掌。
時折強く風が通り抜け、献花の花びらが船上を飛びかい、少々大変な思いもありましたがご依頼者様に代り真心を込め静かにセレモニーを執り行なわせて頂きました。
防寒具を重ねてのセレモニー、失礼とは思いましたがご理解をお願い致します。
献酒、献水の後、今回は初めてでもあります、ご位牌骨壺からの直接の散骨。この時ばかりは時間を掛けながら少量づつゆっくりと散骨を行わせて頂きました。
そして献花、時々陽が射し明るくなり献花の花びらも綺麗に見えますが、突然真っ暗になったりでカメラに納めるのもこの日は大変でした。
夕刻近くの時間帯、空は雲間に太陽も透けて見え明るく感じますが海面だけはとても変化に富んだ一日でした。
帰社後に本日の報告書をまとめ、スナップ写真、海洋散骨証明書と同封でご依頼者様へのご報告となりました。
長い年月に渡り、地元でのご供養大変ご苦労様でした。今回ご依頼通りに亡きお母様の故郷の海へ無事に還す事が出来ました。
ご依頼を頂き有り難う御座いました。合掌!