長年の現場経験から一言 「遺品整理と財産相続」
部屋中をご自身で整理整頓、台所、トイレ、浴室も・・・。
洗濯まで済ませた後に一人寂しく若者が旅立ちました。
何日程掛けての片付け作業だったのだろう・・・その時の心中や・・・。
今回の作業打ち合わせも大変辛い現場となりました。
お部屋を見渡せば引っ越し直前のように真新しい幾つかの段ボール箱や衣装ケースなどに綺麗に畳まれた衣類が収まっております。台所用品や雑貨物は紙袋にそれぞれが仕分けされております。無造作にそのままの状態で置かれて居る物は洗面用具のみ、他は何一つ見当たりません。
本当に何があったのかと途方に暮れる父親、テーブルに身を伏せ震える体で声を絞り出し、
「一人息子だ!跡取り息子が、なぜ?・・」
精一杯しぼりだすような声、目を合わせる事ができません。
そばに座る奥さんが
「何があったのか私達には分かりません。見当も付きません」
「先日、自ら命を絶ちました。直前にシャワーも済ませた形跡が・・、体も綺麗にして覚悟の自殺です」
「最後の現場となる所は別の場所ですが、月末まで部屋の明け渡しを言われております。遺品整理、部屋の清掃をお願い致します。現場まで乗って行った車もあるのですが、どうしていいのか検討すら・・、考えも・・何も手に付かず・・」
こちらからお尋ねした訳ではございませんが、涙ながらにお母さんが事情を教えて下さいました。
職場内でのパワハラやモラハラ行為も無く、上司に手紙を残されていたとか、その原文を上司から私達に渡してくれましたと、上司宛の遺書の様でした・・・。
作業のお見積りをご依頼頂きましたが先の通り片付いた室内状態、冷蔵庫や洗濯機などの家電類は別としても、物量的には親御さんたちで十分運び出せるほどしかありませんでしたが、
「私達いまだ動ける気がしません、全ての作業をお願い致します・・」
父親は座ったきりで動く事が出来ない様子、お母さんの案内で室内の整理品を書き留めます。下駄箱、押し入れの中、ドレッサー内は背広類、季節の洋服類が洗濯タグ付きで並んでいます。先日まで利用していた寝具類、部屋隅に綺麗に折り畳んであります。ワイシャツにネクタイなどなど。
「あの子が着ていた衣類や靴は全てお焚き上げをお願い致します。大丈夫でしょうか?お願いできますか?」
大型ダンボール箱で3箱ほどになるようです。
「私達が持ち帰るのは倅のパソコンに携帯電話、TVとその台。後は全処分をお願い致します」
1時間程のお話合い、見積金額を口頭で伝えたところ、
「すぐに作業をお願い致します」
それから2日後、朝からご両親立ち合いのもとで整理作業です。お部屋に着くと既にお約束の数時間前には入室されていたようで私達作業員に、
「もう少し時間を・・下さい・・」
その間ご夫婦で無言のまま・・、息子さんの住んでいた室内でただただ無言で座り込んでいるご様子でした。
それから暫くしてお声掛け頂き入室、辛い重苦しい中での作業開始となります。
その間に運び出される品々、そばでお焚き上げの品を段ボールへの仕分け収納作業はご両親自らの作業となります。先日まで着ていた背広やワイシャツ、ネクタイなど丁寧に畳み一品、一品にポツポツと声を掛けながらの作業です、、とても直視出来ない声も掛け辛い・・。
故人様の生前の片付け作業で整理も粗方進んでおり全工程3時間ほどで終了となりました。
最後に全室掃除機を掛けて契約内容を無事に終了です。
ご両親も先日よりは幾分声も出ておりましたが脱力感は傍からも見て取れます。何のお声掛けも無駄とは思います、その心境や他人に分かるはずもありません。
一日も早く平常心に戻れる様に健康に留意してと、ただただ心の中で祈るばかりでした。
経験上思うのは、まだお若いご両親の様子からも専門家によるグリーフケア が必要な気もしますが・・とても心配なところです。
「grief(グリーフ)」とは、家族や親しい人との死別などによる深い悲しみや悲痛・悲嘆を意味し、その深い悲しみを抱える人に寄り添い支えて立ち直るようにサポートする事をグリーフケア・グリーフサポートと言います。
翌日早々に先様からご依頼のありましたお焚き上げ依頼の段ボール箱を大日坊まで届けとなりました。お寺さんよりお知らせを頂き次第、ご依頼者に成り代わり私どもが供養祭の立ち合いとなります。その日を私共も静かに待つ事となります。
合掌・・
海洋乗船散骨 3年前に乗船頂き元気な姿で亡き旦那様を船上から
3年前の散骨葬を思い出しながらの会話となりました。
「3年前に父親の海洋散骨でお世話になった○○です」
「それまで元気だった母が年明けに亡くなりました。本人の希望遺言でもあり、母の海洋散骨葬をお願いしたいのですが」
朝一の電話でした。
当社の海洋散骨船に乗られた最高齢の女性、当時93歳位だったと記憶してますが、とてもそうは見えない若い元気なお婆さんで、一緒に乗船した70代の息子さんよりも船上では笑顔の絶えない饒舌な方と記憶しておりました。夫を送る海洋散骨中も冗談とは思っておりましたが、
「私が死んだ時も是非こうしてもらいたいわ!」
そんな事を仰っていたのを思い出します。
取り急ぎ契約書をまとめ送付、数日後には押印された契約書同封のご遺骨が送られてきました。私共にとりましても生前の姿、お顔を思い出す初めての方のご遺骨です。合掌・・!
時間を掛けながら少量づつの粉骨加工施し折鶴を添え祭壇へひとまず安置、その日を待ちます。
散骨当日は鳥海山もハッキリと望める最高の天気、ご依頼主様と奥さん二人乗船を頂き出航です。
船中での奥様のお話しでは、とても元気なお婆さんだったようで、
「倒れるまで下の世話一つしたこと御座いません。全て身の回りは自身でやる本当に元気なお母さんでした・・」
お婆さんの生前の想い出話に、そばで旦那さんがうなずきながら笑顔で聞いております。
途中ご夫婦でデッキ椅子から立ち上がり鳥海山や船上から見る海岸線を指差しながら会話をしております。奥様の体調を気遣っておりましたが全く心配なさそうです。
3年前お父さんを送った海域まで進みます。波風の方向を確認後機関停止、静かに海洋散骨葬が始まります。
アフトデッキに誂えた祭壇、花びらに囲まれた母の遺影にご夫婦で深々と一礼して合掌、新たな旅立儀式、冥土への航海の安全を祈願。献酒・献水・・紙袋に収まった母のご遺骨を手に取り、船縁から身を乗り出して花びらと共に散骨葬が始まりました。
3年前の海洋葬と今回の打ち合わせと、ご夫婦とは何度も面識ございましたが、私共に見せた事の無い厳粛お顔をされており、旦那様においては途中込み上げてくる物があったのでしょう、唇を一文字に・・震える唇・・泣き耐える様が・・・。ご夫婦共に身を乗り出し、波間に見え隠れしながら離れて行く母を二人寄り添い長い時間見入っておりました。
アフトデッキに立ちあがり自然と手を合わせ合掌するお二人の様子が大変印象的でした。
今回も無事に終えた海洋散骨葬、帰途の船中では頂上に笠雲の掛かった鳥海山を眺めながら、一区切りが付いて安堵するお二人とも笑顔で帰港する事が出来ました。
この度も当社海洋散骨船YAMAHIRO号をご指名頂き有難う御座いました。
合掌・・・
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