墓地の解体について
ずいぶん久しぶりになりました、今年はおかげさまで、忙しすぎる一年になりました、でもご多分にもれず、売り上げの方はさしたる変化もなく低空飛行を続けています。自分たちの市場はともかく縮小傾向が加速しています。あまりにも合理的すぎる時代の流れは、供養という非合理的なものには否定的な考えが横行しています。又それまで当り前だった親が子を育て、子が親の面倒をみるという事が、外部委託があたりまえになり、親が子に面倒をかけたくないからお墓は?みたいな考えが!
それでいいのでしょうか?答えは解りませんが?自分は生きていく中で、悲しい時や、苦しい時にはついついお墓に行きその前で愚痴をこぼしてきます、そしてほっとしてきます、あまりにもタイトな時代、ふと息を抜く、抜ける場所それが墓の一つの役割ではないのかなと思っています、もちろん特定の自分の先祖を供養する場所、そう思われるお墓をつくりたいと思います。できるだけ原石から自分で加工して、
確かに今は幸せな時代なのかもしれません、いくら格差社会化が進んでいても戦後のひどい時代よりは裕福かもしれません、でも心はどうなのでしょう?温故知新、ふるきを訪ねて新しきを知る?昔はご近所や地域社会の中に良いつながりや安らぎがあったような?お寺さんも地域社会の中でそれなりの役割を担っていたような?
なんだかんだ考えてみても多分正解はないのかもしれません、それは答えは一人ひとりちがうから?
本当に厳しい時代ですが、自分は前を向いて進んで行こうと思います。
という事で12月に21日に新国立競技場で走ってきました。
皆さん良いお年を!