学校に行かない決断より行く決断で新たな道ができる

みなさんは、自分と似たような存在がいることを知ったとき安心感を抱きますか?
自分だけではないと思えることが救いになるときはたくさんあると思います。
情報を手軽に得られるようになることを好ましく思わない人も一定数います。
特に教育の現場である学校では、通信機器の使用を制限するという考え方が出るのも当然です。
しかし、スマホとSNSの普及により、情報発信が個人レベルまで落とし込まれてからは「教育上良くない」とか「いじめの原因になる」という理由だけでは誰も納得しないほどに、利便性と情報に対する理解度が上がりました。
情報が民主化された時代と呼べます。
こうなると「エス」に新たな価値観を与えてくれる人との出会いが無くても、自身の「なにか」が大きく変化する機会が増えてきます。
そのとき、自我が制御装置としての役割を果たしていなければ、周辺機器との調整ができず本能むき出しで暴走してしまう可能性があります。
自我は誰にでも備わっていますが、育成の状態により処理能力に差があります。
それをどう扱うかは本人次第です。
最近の日本の四季は、梅雨の時期がはっきりしなかったり、台風が今までと逆方向に進路を進んだり、天気の移り変わりが以前のように一定ではなくなってきているニュースをよく目にします。
温暖化による海水温の上昇などが原因と言われていますが、地球規模での環境変化が起こっているのは誰が見ても明らかです。
今までの統計から推測する方法では天候の変化に対応しきれない場合が増えてきました。
人間社会にも情報の民主化という地球規模の環境変化が起こっています。
こうなると「エス」は、より複雑な感情や欲求を生み出し、人間の本能である「超自我」は新しいスイッチを押したいという「欲」が大きくなります。
その大量の欲求を制御する「自我」に今まで以上の制御能力が必要になります。
現代の情報量を前提とした方法で自我を育成しなければ、多様化と細分化が進みどんどん複雑になる人や社会との接続が難しくなるのは当然です。



