「自分史」を書き換えることによって自分を変える
「ゴールデンウィークの憂鬱」の表題に目が留まった人は、当たり前ですが、何らかの理由で
この話題に関心がある人だと思います。
言い換えれば、この連休がもたらす「憂鬱」を自ら感じているか、そのことに関心がある人でしょう。
とすれば、あなたは決して一人ではありません。それどころか、この連休の「憂鬱」は意外と
多くの人が感じているようです。
ところでこの「憂鬱」はどこから来るのでしょうか。
もちろん、いろいろな原因が考えられると思います。例えば、大型連休を利用して家族が
集まり、その相手で疲れ果てた場合などです。
しかし、私は「疎外感」や「孤独感」からくる「憂鬱」に焦点を合わせたいと思います。
誰が名づけたか知れませんが、「ゴールデンウィーク」の名前自体、何か楽しまなければ
いけないとの前提に立っています。テレビや新聞などのマスコミも、この時期になると
成田空港での海外旅行の出国風景や高速道路の渋滞風景を報道します。
しかし、家族の不幸や職を無くしたなどいろいろな事情で、旅行ムードに乗れない人も
実は多いと思います。
振替休日の導入で連休を増やしたことに見られる、国を挙げてともいえるバカンスムードに
乗りやすいのは、団体行動や集団主義をよくいわれる日本人の特性なのでしょうか。
実はそうではありません。私が15年余り滞在した米国でも同じ現象を見ました。
米国では5月のゴールデンウィークこそ存在しませんが、11月後半の感謝祭から12月の
クリスマスまではお祭りムードに包まれ、「祝わなければいけない」雰囲気になります。
このことは個人主義の国といえる米国でも、キリスト教が如何に社会の風潮に影響を与えて
いるかを示すものと言えます。
その雰囲気の中で、英語でも「ホリディ・ブルース」という言葉が存在します。これは
そのものずばりで「休日の憂鬱」です。
つまり、日本でも米国でも、休日を楽しめず逆に落ち込む人は少なからずいるということ
です。
このことを理解した上で、「ゴールデンウィークの憂鬱」を感じている人は、別に世間の風潮
に乗らなくてもいいという考えでいけばいいのではないでしょうか。
というのは、根をたどれば、現状は社会がまだ個人の多様な価値観や生活態度を十分には
許容する態勢にはなっていないと言えると思います。
ですから、ゴールデンウィークに憂鬱を感じるのは何も特殊ではなく、マスコミなどで
作り上げられた社会の風潮に乗れないだけのことと言っていいと思います。
ちなみに、ゴールデンウィークを目一杯楽しんだ人にも「休日後の憂鬱(ポストホリディ
ブルース)」がちゃんと用意されていますから、どっちに転んでも「憂鬱」と言えますが。
村田 晃
心理学博士(PhD University of Denver USA), 臨床心理士
富山県スクールカウンセラー



