時代を耐え抜いてきた 座右の銘から学べること
30日金曜公開された映画「ペンタゴン・ペーパーズ」に感動して、涙なくして見ることができませんでした。
見どころは、ベトナム戦争に関わる大きな嘘、国家最高レベルの機密を暴く新聞社の「報道の自由」と記事を差し止め圧力をかけて隠蔽隠匿する権力との戦いですが、4、50年前の実話とはいえ、まさに今世界が思い起こすべきふさわしい内容と思うのは、ジャーナリストだけではないと思いました。むしろ時代が複雑化して圧力も強まり、当時よりも問題意識をもつべき課題が増え、多岐にわたっていると筆者は思います。
腐敗した権力の乱用やなれ合い、お友達人事、隠蔽隠匿は国家に限りません。身近な職場、教育、医療、介護の現場、家庭内の立場の弱い高齢者、子ども、女性、障害者への侮辱、嘘、中傷、無視、ののしり、冷淡な態度、差別的扱い、暴力、ねたみや恨みによるいじめ、必要な情報や資料を与えないこと、過大な要求、能力を生かせない仕事しか与えないこと、片方の言い分しか聴かないこと、徒党を組んで孤立させること、望まないのに人の決定やプライバシーに立ち入ること、罪悪感をもたせて人を支配コントロールするなどが心理的精神的苦痛となり、業務や生活に支障をきたせばパワハラ、モラハラにつながります。
優越的な関係や悪感情に基づく精神的身体的攻撃は、殆どの場合個人的また組織的に水面下で、日常的に見られます。たちの悪いことに、自分第一の独善的な加害者には人の苦しみがわからず、無知ゆえに言動の違法性や自分が加害者だという自覚もありません。被害者が人知れず傷つき疲弊し、自尊心を保てず体調を崩したり、評判やよい立場も失い親しい者からも誤解され孤立させられる現状もあります。
『 単なる虐げが 賢い者に気違いじみた行動をとらせることがある 』 -伝道の書7:7-
『 見よ、虐げられている者たちの涙がある。しかし、彼らには慰めてくれる者がいなかった。彼らを虐げる者たちの側には力があった。それで彼らには慰めてくれる者がいなかったのである 』 -伝道の書4:1-
国分寺 七重の塔跡の 桜
そんな中「報道の自由」がめざすべき高潔な倫理とは何でしょうか? 筆者はまず何よりも悪や嘘を憎み、倫理的な自由意思をもつ互いの尊厳を重んじて敬意を払い、よりよい社会を実現するために最善を尽くすことだと思っています。人材不足の中、今後はパワハラリスクを避ける自己診断などの取り組みがなされ、人の尊厳を傷つけ、潰すブラック企業やパワハラ上司などは淘汰されてゆくとの期待もありますが、被害者の苦しみを知り、心理教育が必要と痛感している心理職の立場からも、よい傾向だと思っています。
本能で生きる動物と違い人間だけが利他的な愛や卓越した知恵や能力、鋭い公正の感覚をもち、自分の理念のために人生や命もかけ、意義も幸福も見いだせるのは興味深いことです。高潔な信仰や理念がもてて最善を尽くせれば、悔いのない満足な生き方ができそうですね。例えば、もしパウロの語った究極の言葉 ↓ を確信できるとしたら、何か恐れるものなどがあるでしょうか。
『 死も、生も、み使いも、政府も、今あるものも、来るべきものも、力も、高さも、深さも、またほかのどんな創造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛からわたしたちを引き離し得ないことを、わたしは確信しているからです 』 -ローマ人への手紙8:38.39-
この春、みなさまが高潔な倫理的自由をもつ人間として、よりよい目標をもってスタートできますように。