「社員を壊す」経営者
現在の社会では
批評や指摘や独自の見解が
「危険物扱い」される風潮が広がっている
企業では
「心理的安全性」が重視され
職場での人間関係を円滑にするための
努力が求められているが・・・
それが行き過ぎて
「本音」が封じ込められ
「建前」だけが
無菌ルームで漂っているような
状況になりつつある
正解はB
会議である人が述べた意見に対して
見解を示す際・・・どちらが正しいか?
A「自分は異なる見解を持つ事を
明確にしてから意見を述べる」
B「自分は異なる見解を持つことは
あえて言わずに自分の意見を述べる」
今の時世における正解は
「B」なんだそうだ・・・
心理的安全性ってそれでいいの?
二重構造
「あなたとは意見が違う」
と面と向かって言うのは
心理的安全性を損なうとされ
会議やミーティングでは
お互いの本音を探り合うよりも
“配慮の言葉”で
言いたいことをオブラートに包むことが
求められている
一方で
SNSなどの匿名空間では
そのオブラートはどこかに消え
時に耳を覆いたくなるような
激しい批判が飛び交っている
人前では慎重になりつつも
匿名になると牙をむく
この二重構造が
「言論の分断」を
生んでいるのかもしれない
無菌主義の加速
表の世界=無菌
裏では=荒れ放題
まるで
日陰に隠れて育った植物が
日光の下に出ると
一気に枯れてしまうような不健全さだ
職場の上司と部下の関係にも
この変化は影響を及ぼしている
かつては上司が厳しく指導し
部下はそれに応える形で成長していった
しかしパワハラへの懸念が先行し
厳しい指導が敬遠される時代となった今
上司はあえて矛先を収め
波風を立てないように配慮する
それが原因で
「もっと指導がほしかった」と
不満を持つ若者が
“ホワイト離職”する現象も起きている
時に
「あの時の厳しさがあったからこそ成長できた」
という過去の経験を持つ人々にとって
今の“ぬるま湯”のような環境が
物足りなく感じるのかもしれない
このような風潮は
社会全体の「無菌主義」を加速させ
私たちは時代の変化に翻弄されるように
新しいマナーやルールに
従いながら歩んでいる
しかしそれが果たして
本当に良いことなのかは疑問が残る
元の濁り・・
「白河の清きに魚もすみかねて
元の濁りの田沼恋しき」
という古い句をご存じだろうか?
(白河の水はきれい過ぎて
かえって魚も住みづらい
昔の濁っていた沼が恋しい)直訳
かつては濁った社会だったが
あの混沌の中にこそ
人々は本音をぶつけ合いながらも
育まれる関係があったのかもしれない
無菌の清らかさに
慣れきってしまった現代社会で
本音と建前のちょうどよいバランスが
見つかる日は来るのだろうか
私たちは
「本音」と「建前」という二つの側面の
どちらに重きを置くべきなのか
・・・誰か教えて欲しい!?
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